2025/04/01

アラスカ関係の新刊のご案内(ウソ記事です)

以下、例年通りのエイプリルフールのウソ記事です。
こんな本、出てないですからね。

大学時代からの古い友人に岩内真実という男がいます。
僕がアラスカへ通い始めて数年目くらいに、一度だけコツビューまで一緒に行ったことがあるのですよ。
彼、コツビュー周辺に日本人を先祖に持つIto(アイトゥ)一族がいると言うことに興味を持って、その後ずっと調べていたらしいのですね(知らなかった)。
ずっと編集者をやっていて、本に関わる仕事はしていたけれど、まさか彼が本を書いたとは知りませんでした。

「チバのイトウ、アラスカのアイトウ 北西アラスカの日本人史」

民明書房(この出版社は実在しません)から出版されたこの本、結構厚めの本なので、AIに要約させてみました。
文字数指定なしで要約させたら、章ごとに長さが違うんですが、そこはまあご愛嬌。伝えたい内容はしっかりと要約されてます。

この本の主人公の英太郎の写真、全く残されていないとされていたのですが、実は日本に帰国後、青森の地元新聞「五所川原日報(こんなのありません)」で取材を受けていて、新聞掲載時の写真を見つけることができました、とのこと。

紙の本は、全国の書店はもちろん、各種通販サイトでも購入可能。AmazonのKindle版も近日発売予定とのこと。


#アラスカ #alaska #民明書房 

 




以下、要約です。
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はじめに
戦前、日本からアラスカに渡った日本人はそれなりに多かったのだが、世間に知られている人は数少ない。新田次郎の「アラスカ物語」で一躍有名になったフランク安田こと安田恭輔。
和田 重次郎は犬ぞり使いとしてアィディタロッドトレイルを開拓するなど活躍をしたものの、あまり知られていない。
市井の人として歴史に埋もれてしまった日本人が多い中、ある地域では忘れ去られることなく、伝説のように語り継がれる人もいる。伝説も何も、その日本人の子孫が今もその地域において重要な存在になっていることも多々あるのだ。
今回取り上げた伊東英太郎もそんな日本人のひとりである。
著者は30余年に渡ってアラスカに通いながら、一貫して伊東の調査を続けた。
長く同じ地域に通い続けることで、地元の人たちと密接に知り合うことができ、より明確に彼の人生を描くことが可能になった。
一人の日本人の記録を、人々の記憶から消え去る前に書籍として残せたことを大変誇りに思う。

第一章 千葉、横浜
1800年代後半、木更津で漁師の三男として生まれた英太郎。三男なのに「英太郎」。伊東家では男児に「太郎」と付ける風習があり、長男は源太郎、次男は仁太郎という。
漁師としての仕事は長男と次男が父とともに担っていたため、英太郎は10代から対岸の横浜港で荷役の港湾労働者として働いていた。

第二章 渡洋、北進
1900年のある日、貨客船亜米利加丸の荷役が終わり、一休みのつもりで船倉で昼寝をしている間に、亜米利加丸は出航してしまった。
英太郎が目を覚ましたとき、船は既に東京湾を離れ、千葉県沖の太平洋。今更英太郎を日本に返す手段もないため、船内雑務を手伝うことを条件に、食事とベッドを提供され、太平洋を横断。
シアトルで下船した英太郎は、ゴールドラッシュの噂を聞き、そのままアラスカへ向かう貨物船に乗り込み、ノームへと辿り着く。

第三章 山師、黄金
ゴールドラッシュで沸くノームでは、英太郎も山師の仲間入り。
海岸での砂金堀を行っていた山師たちに技術を学び、それなりの財産を築くこととなった。
当時、英太郎が住んでいたのは、宿と言うには難のありそうな掘立て小屋のような建物であり、当時の山師たちは、皆このような宿を常宿としていた。
いずれにせよ山師たちは、どんなに儲けようとも、あっという間に博打で全てを失い、一文なしになることが多かったことから、身分不相応な豪華な宿へと移り住むものは少なかった。

第四章 邂逅、結婚
貧相な宿から、海岸の砂金掘場へ向かう途中、海岸近くの集落に住むイヌピアックエスキモーの若い女性に一目惚れした英太郎。ろくに英語ができないまま、彼女に声をかける。
彼女の名前は「アッチュ」 いや「アッチュ」だと英太郎は思い込んでいた。実は「アッチュ」は、イヌピアックの言葉で「知らない、わからない」の意味である。
英太郎が彼女に名前を聞いた際、彼が何を言っているのか全くわからないので「アッチュ」と答えたのを、英太郎が名前と勘違いしたのである。
イヌピアック語など全くわからない英太郎と、英語のほとんど分からないアッチュ。二人が会話などできるはずもない。身振り手振り、地面に絵を描くことでお互いの意思をかろうじて通じさせていた。
「英太郎」という名前は、日本語を喋らない人たちにとっては、なかなか発音しにくい名前だ。英太郎は自分の名前を英語風に「えでぃ」と彼女に伝えた。
英語風に伝えたところで、そもそも彼女は英語がわからない。「エディ」は彼女には「アディー」と聞こえた。
「あでぃー」、この人は親に変わった名前を付けられたのだな、そう思いながらも彼女は彼のことを「アディ」と呼ぶようになった。
ちなみ「アディー」とは、イヌピアックの人たちがびっくりしたときや、困ったことがあったときなどに思わず口から出てしまう言葉である。
アディーとアッチュ。訳のわからない名前の二人は、間もなく、一緒に暮らし始めた。
英太郎は、これまでのような隙間風だらけの宿では、たとえ山師であっても、良いことはなかろうと考え、世界中からやってくる山師たちのための宿「Storm inn」を開いたのだった。
しかし翌1905年、悪名高きノームの大火で焼け出され、今まで稼いできた全てを失ってしまった。

第五章 固縛、呪縛
焼け出された二人は、ノームでの暮らしに見切りをつけ、アッチュの母親の故郷であるコバック川流域へと移り住んだ。
周辺の人たちの猟の仕事を手伝いながら、アディはコバック川流域でも猟師や商人のための宿、「Storm inn」を開く。
小さな宿ではあったが、付近に他に宿はなく、アッチュの人柄もあり、多くの人たちに慕われる宿となった。
また、英太郎は古老からカヤックの作り方を伝授され、地元の人たちのためにカヤックを作りをするなど、どんどんと地元へと溶け込んでいくのであった。
やがて二人は子宝に恵まれる。
アディとアッチュの長男は、今度こそエディと名付けられた。
アディ、エディ、現在、コツビユー周辺に多く住む「Ito(アイトウ)」一族の始祖である。
エディは地元の中学校を卒業し、一流の猟師となったが、これから先、猟だけでは生きていけないと悟り、父、英太郎とともに宿に関わることとなった。

第六章 帰郷、彷徨
息子のエディが30歳を過ぎた頃、英太郎は久しく帰っていなかった故郷、木更津のことを考えはじめていた。
エディに宿のことを任せ、彼は日本へと旅立った。アディは数年前、病気で世を去っているし、思い残すことはない。
英太郎は、サンフランシスコ経由で太平洋を渡り、数十年ぶりにかつて働いていた横浜港へ。そして横浜港から再び船に乗り、横須賀経由で対岸の木更津へと帰郷を果たす。
しかし、木更津の両親は既になく、兄達の消息もわからなかった。渡米後、時々日本へ手紙を書いていたものの、当時の状況を考えると、果たしてその手紙が家族の元へ届いていたかも怪しいものだった。
途方に暮れ、日本を旅をしながら、あらゆるものがすっかり変わってしまったことに衝撃を受けつつ、縁もゆかりもない青森へと辿り着いた。
この土地の寒冷な空気。アディと過ごしたコバック川流域を思い出せるこの土地を、英太郎は安住の地とした。

おわりに
エディの宿はその後も続き、エディの息子、アディの孫にあたるエディJr.が地元の町と町を繋ぐ小さな飛行機会社「Storm inn Aviation」を開設。現在はエディⅢ世が会社を引き継ぎ、現在も地域の人々にとって、重要な足となっている。

英太郎年譜
(略)

2024/04/01

ニューヨークの和食レストラン(ないですよ)

 以下の文章は、全てエイプリルフールのネタです。
こんなレストランはありません。
ちなみに「Anaq」とは、イヌピアックエスキモーの言葉で「うんこ」のことです。
「世界最高のうんこレストラン」の記事となっております。
それ故に「攻めた名前だな」なんて書いてるわけです。


大学の同級生で今はニューヨークでWEB系のレストラン紹介サイトの記者をやっている岩内真実(いわうちまさみ)という男がおりまして、彼からニューヨーク州の日本食レストランのことを書いたから読んでくれと、記事が送られてきたんですよ。

英語の記事だし、読むの面倒くさいので、google 翻訳をかけてみわけですよ。
第一印象は、攻めた名前のレストランだな、と。

なんで誰も止めなかったんだろう、って思ったけど、誰も知らんよな。
でも、穴子も穴きゅうも美味しいよね。


以下、翻訳。

日本の誇る海産物のひとつ穴子(アナゴ)。寿司屋で頂くふんわりと柔らかく仕上げた煮穴子の握りは絶品である。
また、居酒屋や小料理屋の突出しとしてお馴染みの、穴子と胡瓜を使った酢の物「あなきゅう」も日本酒のあてには欠かせないものであろう。
日本ではとても馴染み深い穴子であるが、海外での認知度はまだまだである。そんな中、世界中の有名レストランが集まるニューヨークに穴子専門のレストランが開店する。
店主は日本橋の老舗寿司店で修行したのちロサンゼルスへ移住し、本物の「日本の寿司」を知らしめたいと寿司店を開く。しかし、現地で最も人気があり、市民のソウルフードとされる「カリフォルニアロール」を置いていなかったがために苦戦。閉店に追い込まれた。
この度、心機一転ニューヨークに居を移し、寿司ネタの中で最も好きだった穴子を専門としたレストランを開店することとなった。
アナゴは日本からとれたてを飛行機で生きたまま直送され、調理される。
店主曰く
「穴子は東京湾のものが最高に美味い。中でも羽田沖のものに敵うものはない」
産地にこだわった結果、羽田空港に程近い羽田漁協の協力もあり、当日とれた新鮮な穴子が羽田空港からニューヨークへ向けて飛び立つという。
穴子料理のうち、店主の最も好きな「あなきゅう」を店名とした。
「Best AnaQ restaurant in the world」
店名に添えられた一文に、店主の自信の程が窺える。


2023/07/27

新聞

今年(2023年)5月のクジラの猟期中、Anchorage Daily News(及びArctic Sounder)の記者の方がポイントホープに取材に来ておりました。
ちょうどそのとき、叔父のJanがクジラを捕り、引き上げ解体の様子を取材して、なかなか良い記事を書いています。

その際、妙な日本人がいる、ってことで声をかけられ、氷の上で簡単な取材を受けたのです。
立て続けに質問をされたところで、近年、ド忘れの度合いが激しくなり、まともに質問に答えられるはずもなく。後日、改めて、家の前で取材を受け、写真を撮られ。

その後も何度か連絡が来て、生まれてから今に至るまでを事細かに聞かれ。
おかげで忘れていた子どもの頃の記憶がいろいろと蘇ってきて、ああ、あの頃はあんなことをしていたり、考えたりしていたんだな、と懐かしい気分になったり。

7月も終わりに近づき、日本に戻って暑さに喘いでいるある早朝、まだ暗いけれど目が覚めて、時間を確認するために、携帯電話を開くと、朝の4時。
また寝よう、と思いつつFacebookを開いてみると、なぜか自分の名前が大量に上がっている。
何事だ? 何か悪いことをしたか?
と、よく見れば、先日の取材結果が記事として上げられています。アラスカの友人たちが、それを読んでシェアしてくれていたのでした。

Anchorage Daily Newsの方は、何度か見ていると、金払え、って言ってくるので、コツビューの週刊新聞、Arctic Sounderのリンクを貼っておきます。

ArcticSounder

プロが撮ると、おっさんの顔でさえ良い顔になりますね。

2023/06/30

大型アザラシの縛り方

 以前、ウグルック(アゴヒゲアザラシ)の捕まえ方を掲載してますが、その一部の詳細版という感じ。

近年のウグルック猟ではボートを使うことが多く、捕らえたアザラシを陸まで曳航していかなくてはなりません。
ウグルックは2m程度はある大型のアザラシなので(体重も相当重い)、きちんと縛らないと外れて沈んでしまう可能性があります。かといって、縛るのに時間をかけるわけにもいかない。

我々が普段使っている縛り方は、上顎の頬の部分に穴をあけてロープをかける方法。

以下解説ですが、あまりに生々しい色だったので、モノクロに変えてあります。

アザラシの上顎、歯と頬の間にナイフを入れ貫通させる
穴が小さいようであれば、上からもナイフを入れて穴を広げる  
  
ロープをU字形にして、穴に入れる

内側から出たU字の部位を上顎に回し、ロープの一端をくぐらせる

縛って完成。一方の端をボートに固定

 少々わかりにくいかもしれませんが、日本で使うことはないと思われるので。。。
本当に知りたい方は、会った時にお教えします。

今年は長いこと血を噴出させる個体が多く、着ていた服は血塗れに。曳航中もこんなことになっていて。。。
 
おまけに頭を撃ち抜かれて脳がないのに、泳いだり暴れたりしている個体もいて。
一体何が起きているんでしょう。
 


2023/04/01

新しい雑誌の紹介(ではありません)

以下、エイプリルフールのネタです。
本当にごめんなさい。


今まで中国には行ったことがないのですが、戦前「北京のおじさん」って呼ばれていた父の叔父で医者だった人がいたそうなんですよ。(これは事実です)
先日、Facebookで中国の友人とやりとりしていたら、1930年代にその人のお爺さんが北京でとても仲の良い日本人医師がいたと話をしてくれたことがあると。(こんな友人、いません)
まさかそれが「北京のおじさん」だとは思いませんけど、世の中どこで繋がっているかわかりませんからね。

さて、何年か前にシアトルで1泊した際、現地在住の中国系アメリカ人の方と出会いました。
宝石デザイナーをしている邬桑(Wū Sāng)という方。
彼のデザインする指輪やネックレスなどのアクセサリーは、派手さはないのですが、とても上品で、つけている人の品位を高めるというか、素人で宝石なんて全く知らない自分が見ても、惚れ惚れするほどのものでした。

去年の夏、その彼から「日本でも宝石を売ってみたいんだけど、何かコネはないか」と連絡がありました。
宝石なんて縁がないですから、どうしたもんかと思っていたら、大学時代からの友人で、編集者をやっている岩内真実が (いわうちまさみ:いわないしんじつ)
「例の週刊シリーズでジュエリー関係の特集誌を作るんだけど、何かネタはないか?」と。なんたる偶然でしょう。
「誌名はやっぱり『週刊宝石』か?」と聞いたら、さすがにその名前は無理なので「週刊ジュエリーデザイン」になったそう。

というわけで岩内に邬(ウー)さんを紹介してあげたのです。
岩内が御徒町の宝石屋さんへ取材に行く、というので、ちょうだいいやって、ウーさんの紹介がてらついて行きました(ご存知かもしれませんが御徒町は宝石店が多いのです(これは事実))。取材に伺ったのは馬飼萌音さんと言う方のやっている「monne」というお店です。その筋では有名な店なので、知っている人もいるかと。(宝石店で「まがいもんね」はいかがなものでしょう。もちろんmonneなんて店、ありません

店主の萌音さんにウーさんの作品を見せたところ(写真ですけどね)、たいそう気に入っていただけて、その場でウーさんに連絡。そして萌音さんの店のオリジナルブランド「Cool Shine」と是非コラボしたいと。
結果「Woo Sun Cool Shine」という名義で売り出すことになりました(「Cool Shine」は、萌音さんの店のブランド)。(うーさんくーしゃい:胡散臭い)
「週刊ジュエリーデザイン」の創刊号の特別付録は、「Woo Sun Cool Shine」のジュエリーだそうです。どんなものかは開けてみてのお楽しみってことで。

それはそうと、街角アニータって可愛いよねえ。

もう書店に並んでいるはず

写真は、どれもフリー素材。なので誰やら存じません。
先日「道端ジェシカ」というモデルさんが、MDMA輸入して捕まった、という話から、アニータを思い付いてます。

アニータの経歴は以下の通り

街角アニータ
日本人の父、チリ人の母を持つ。青森県出身。
生まれて間もなく、母の帰郷に伴いチリへ移住。チリでは母が建てた豪邸で義父やメイドたちに囲まれ何不自由なく育つが、母が語る日本、特に青森での素朴な暮らしに憧れ来日。
東京で語学学校に通いながらアルバイトをしているところを現在の事務所社長にスカウトされ、モデル活動を始める。
この後、彼女の生い立ちを知った週刊誌の企画で実父との再会を果たしている。この時、実父は収監中であったが、なぜ収監されているかは明かにされなかった。
元夫はフィンランドのラリードライバー、オリ・ヴァカネンである。
妹が2人おり、2人ともファッションモデルとして活躍しており「街角三姉妹」として知られる。

 

2023/01/10

2023年もよろしくお願いします。

気がつけば年が明けて10日も経ってしまっています。
今年の正月は、久しぶりに実家へ帰省し、のんびりと食い倒れておりました。

卯年だから飛躍の年だ、とかなんとかおっしゃる方も多いですが、今更飛躍って言ってもねえ。。。
例年通り、無理せずに無茶せずに、思い切り楽しんでいきたいと思っております。結果的に何か新しいことが始まったら、それはそれ、面白いですよね。

昨年、北極圏最後の夜に、夕陽を見に行った帰りの深夜、コツビューの町を歩いていたら、ウサギを見かけましてね。ブレてますが、卯年ってことなので写真を上げておきますしょう。

コツビューのウサギ
忙しい旅館の女将さんが、ちょこまか走ってるように見えますね。

   
2022年のクジラ

2021年は、コロナによる隔離の影響で、クジラの猟には出られなかったのですが、2022年は猟にも解体にも参加できて、自分的には満足のいく猟期でした(我々のクジラ組で、鯨が捕れなかったのは残念でしたが)。

昨年からの円安の影響で、アメリカへ行くのも現地で生活するのもなかなか厳しい状況です(おまけにここのところ個人的に出費が多かった)。だからと言ってアラスカへ行かないとぶっ壊れそうなので、帰ってきて、金が無くて首が回らなくなるかもしれないけれど、今年も行く予定です。

そんな私ではありますが、今年もよろしくお付き合いのほど、お願いいたします。

2022/10/13

文化祭のお知らせ

久しぶりの更新はお知らせです。

自分のグリーンランド式のスキンカヤックを教えてもらいながら作り、さらに乗り方を教えていただいている伊東英一さん主催の「Storm On」
その本拠地である「Storm Shelter」において、地域の方々にも親しんでいただこうと、10月22、23日の両日に渡って、文化祭を開催することとなりました。

 文化祭のお知らせ 

このシェルターに出入りしている人たちが、カヤックとは全く関係なく、それぞれの得意分野の作品を販売したりする催しです。

ちなみに私は、今年(2022年)のクジラ猟についてお話をします。ついでに何か売ります。
主催の伊東さんは、カヤックでのロール(いわゆるエスキモーロール)の講師としてカナダやギリシャに招かれており、その際のお話してくださるそう。

お話しする時間帯は以下の通り。

お話し会の予定

会場はこちら

最寄り駅は内房線の大貫駅。そこから歩いて30分弱。
自動車の場合は、富津中央インターが便利。