2015/01/21

さようなら

2015年1月14日、ポイントホープで最初に友だちになった大好きなエミリーが亡くなった。63歳、若すぎる死だ。

彼女は双子の娘を一度に亡くすという、とても辛い思いもしていた。
その二人のことがあったのだろう。50近くなって、また子どもが育てたいからと、養子をもらって育てていた。
今、14歳のその子は、自律したしっかりした女性に育っている。

「勉強をするのに遅すぎるってことは無いのよ」と言いながら、50歳を過ぎてから、大学の勉強を始め、毎年何らかの単位を取っていた。

一緒に暮らしていたボーイフレンドのビリーは、トリンギット・インディアン。彼もまたエミリーと同じように巨体で、二人の漫才のようなやり取りを聞いているのは、とても楽しかった。

大きな声、巨体を揺らしながら、忙しく働いていたエミリー。
他人に対して厳しいことを言うけれど、それは優しさの現れ。
遠くにいても、怒鳴り散らしたり、喜んだりする、その大きな声で、エミリーがそこにいることはすぐわかった。

子どもの頃から忙しく、働き詰めで、エスキモーらしく生きて来た。

そしてあっけなくいなくなってしまった。

さようなら、エミリー。ありがとう、エミリー。
あなたがいなかったら、ぼくはポイントホープへ通うことはなかったかもしれない。
2014年6月、クジラ祭りにて。ガンの治療中で相当弱って
いたにもかかわらず、何事もないように作業をしていた。

妹のアアナ(右と)(2014年6月)

1993年、初めてあった頃

アンカレジでエミリーのお別れ会のその日、 ぼくのアラスカの妹、ヒラリーに女の子どもが生まれた。
その子は、エミリーのエスキモー名Aumaqpaqを引き継いだ。
おかえり、Aumaqpaq。

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