彼女は双子の娘を一度に亡くすという、とても辛い思いもしていた。
その二人のことがあったのだろう。50近くなって、また子どもが育てたいからと、養子をもらって育てていた。
今、14歳のその子は、自律したしっかりした女性に育っている。
「勉強をするのに遅すぎるってことは無いのよ」と言いながら、50歳を過ぎてから、大学の勉強を始め、毎年何らかの単位を取っていた。
一緒に暮らしていたボーイフレンドのビリーは、トリンギット・インディアン。彼もまたエミリーと同じように巨体で、二人の漫才のようなやり取りを聞いているのは、とても楽しかった。
大きな声、巨体を揺らしながら、忙しく働いていたエミリー。
他人に対して厳しいことを言うけれど、それは優しさの現れ。
遠くにいても、怒鳴り散らしたり、喜んだりする、その大きな声で、エミリーがそこにいることはすぐわかった。
子どもの頃から忙しく、働き詰めで、エスキモーらしく生きて来た。
そしてあっけなくいなくなってしまった。
さようなら、エミリー。ありがとう、エミリー。
あなたがいなかったら、ぼくはポイントホープへ通うことはなかったかもしれない。
2014年6月、クジラ祭りにて。ガンの治療中で相当弱って いたにもかかわらず、何事もないように作業をしていた。 |
妹のアアナ(右と)(2014年6月) |
1993年、初めてあった頃 |
アンカレジでエミリーのお別れ会のその日、 ぼくのアラスカの妹、ヒラリーに女の子どもが生まれた。
その子は、エミリーのエスキモー名Aumaqpaqを引き継いだ。
おかえり、Aumaqpaq。
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