2019/07/01

エスキモーポテト

晩飯を食い終わろうとしていた時、父ちゃんが突然、
「昨日『まーすぅ』ってのもらってさ、久しぶりに食べたよ。シールオイルつけて食べるとうまいんだよ」
と言い出した。
何かと思えば、何かの根っこらしい。
なんでもネズミが食用として集め、地面の下の巣に蓄えておくので、昔はそれ人間が集めて食べていたそう。ネズミが集めたものは、綺麗に皮をむいてあって、すぐにでも食べられる状態だと(今回のものは、誰かが根っこ自体を掘ってきたそう)。
「シンゴ、すぐにでもネズミの巣を探しに行きそうだな? で、ネズミのうんこを間違えて食ってそうだよな」
と言って笑われる。
「ウンコだけど、うまいんだよ、って食ってるかも」

父ちゃん、冷凍庫からその「まーすぅ」なるものを出してきてくれた。
「これはネズミのしっぽか?」
「いや、まーすぅ、何かわからんけど、何かの植物の根っこだそうな」

皮を剥く前と後(幅は5mmほど)
皮を剥いでかじってみる。
繊維質だが、見た目ほど硬くなく、苦味もなく、噛んでいるうちに甘さが出てくる。どこかで食べたことのある味だ。
「なんだとは言えないんだけど、どこかで食べたことのある味なんだよ」
と、とうちゃん。
えぐみのないごぼう? そんな感じ。見た目もごぼうの細いもの。

さて、食事の後、イヌピアック語の辞書やらなんやら色々調べてみると、まーすぅ、「Hedysarum alpinum」英語名は「Alpine sweetvetch(アルパイン・スウィートベッチ)」マメ科のイワオウギ属の植物であることが判明。花は時々見かける。
さらに「エスキモーポテト」の別名があると。
Hedysarum alpinumの花

以前、エスキモーポテトに関するエッセイを読んだことがあったものの、「ポテト=丸いもの」という固定観念があったこと、エッセイの舞台がどちらかと言うと内陸だったと記憶していたので、まさか身近にあるとは思ってもいなかった。

そのエッセイの中でも、ネズミの巣からいただくとあった。ただし、お礼に魚の干物を置いてくると。この辺の人たちはどうしていたのかは知らない。

面白いのは、この辺の人たち、ネズミを毛嫌いしていて、とても怖がっていること。ネズミがその辺を走りまわろうものなら、男女問わず大騒ぎして逃げ惑う。おそらく小さすぎて銃で撃てないからだろう。

天気が悪くて、風も強く、外を歩き回って写真を撮る雰囲気でもないので、天気が回復したら、まーすぅ、ちょっと探してみよう。

2019/06/24

アゴヒゲアザラシの捕まえ方

ようやくブログのタイトルの通り「海獣の捕まえ方」です。
海獣を捕まえるビデオは、YouTube上にも上げてありますが、詳細は書いてませんね。
ちょっとだけ解説してみます。
ちなみにボートからのアゴヒゲアザラシ(ウグルック)の猟です。
氷上や海岸で待機して、氷の割れ目や池状になった水面に現れるアゴヒゲアザラシを捕まえる猟は、氷が無くなる時期が早まってきたこの5年ほどはやっていません。というか近年は、あっという間に氷がなくなってしまい、こういう猟はできないのです。
アゴヒゲアザラシ猟

ボートで走り回りながら、海面に現れるアゴヒゲアザラシを見つけます。この時期、たくさん泳いでいる小型のワモンアザラシとは頭の形、泳ぎ方が異なるので、慣れてくると多少離れていてもわかるようになります。
ボートで近づき、頭を狙って銃を撃ちます。即死する場合もあれば、目玉を撃ち抜かれても生きて逃げ回る個体もあります。
撃ったら素早くボートで近づき、沈む前に銛を打ち込みます。場合によっては、あっという間に沈んでしまい、銛を打ち込む余裕がないこともあります。
銛を打ち込むと同時に、アバタクパック(ブイ)を投げ込む人たちもいますが、我々の場合は、明らかに致命傷にならず、暴れそうな時以外はアバタクパックは投げ込まず、ロープを握って流れて行くのを止めます。
ボートに引き寄せ、まだ生きている場合は、とどめの一発を頭に打ち込みます。時々、脳が完全になくなっているのに動き回る個体もあり、生命力に驚かされます。
(写真下に続く)

死んだことが確認できたら、ウナーックというフックのついた棒で近くまで引き寄せ、上顎の歯茎と頰の間に穴を開け、そこにロープを通し、上顎を回して縛り、船に固定し、海岸まで運びます。 
ボートからロープを外し引き上げます。2m程度のアゴヒゲアザラシの場合、重くて3人以上いないと、引き上げ、移動は難しいです。
アゴヒゲアザラシは、体温保持のための皮下脂肪が3〜5センチあり、死んだ直後も体温は残っているため、そのまま置いておくと内臓から腐ってくる可能性があります。そのため、ヘソの下から10センチほど切り込みを入れて、腸を露出させておきます。そうすることで、1日程度海岸の砂利の上に置いておいても、肉が痛むことはありません。

猟がひと段落した段階で、一旦海岸に置いておいた獲物を解体場所(我々の場合、町に近い海岸の定位置、キャンプ)まで運び、女性たちが解体します。

2019/05/08

墓穴を掘る

この町は基本的に土葬で、人が亡くなれば墓地に穴を掘って埋葬している(アンカレジなどで亡くなった場合は火葬されることもある)。
かつては質素な棺に入れるか直接埋葬していたのだろう。古い墓の上には草が生い茂っているものもある(近年、気温が上がってきたため、背の高い草も増え、墓地や普通の場所の違いがよくわからなくなってきている)。
今は豪華な棺に入れて埋葬しているので草が生い茂ることはないが、親族の人々が造花をたくさん置くことがあるので、花が咲き乱れている墓も多い。

滞在中にほぼ毎回葬儀がある。知った人も多く、猟に出ていてる場合などを除き、なるべく出席するようにしている。
人々は普段着のまま教会に集まり、亡くなった人を偲んで賛美歌を歌い、聖書を読み、時に思い出を語り、笑いが起きることも。
日本のような細かいしきたりは一切なく、派手な服はダメ、香典は多すぎても少なすぎてもダメ、ということはない(こちらに香典という風習はないが)。
どんな格好をしていようが、どんな状態だろうが、故人を偲ぶことに関係はないと思う。

基本的に豪華な棺は既製品を購入するが(アンカレジから飛行機で送られてくる)、それ以外はほぼ手作り。そのため墓標の十字架でさえ、親族の家で作られる。
太い材木を十字に組み、紙やすりをかけて表面を滑らかにし、電動ルーターで文字を刻む。それだけ。
古い墓標は朽ちていて誰のものかわからなくなっていたりするが、墓標なんてこれでいいのだろうなと思う。石で永遠に残す必要はあまり感じない。

木枠を入れ、墓穴を掘る
葬儀前日の午後、親族や友人知人の男性が集まり、墓地の空いた場所に穴を掘る。海岸の砂嘴の先にあるこの町は、表面に薄いツンドラの土があるところもあるが、基本的には砂利。墓地も砂利。
掘れば掘るだけ崩れてくるため、棺がすっぽりと収まる大きさの枠を作り、それの内側を掘っていく。

5月上旬くらいまで、まだ墓地内に雪が積もっている。地面は表面から2〜30cmは凍りついていてシャベルだけでは掘り起こせない。
その昔は、暖かくなって地面が溶けるまで遺体を墓地の脇に安置しておいたそうだ。
雪を除くと、凍った地面が現れる
最近はそんな状態でも穴を掘る。ツルハシで地面を砕き、ハンマードリルで地面を砕き。
「みんなで小便すれば、すぐ溶けるぜ」
などという、そこへ埋葬される人に対する敬意も何もなさそうなひどい冗談を言いながら、男たちは穴を掘り続ける。

重機で一気に掘ることも増えた
墓穴掘りは結構な重労働だったのだが、数年前から重機を使うようになってきた。重機を使うと、あっという間に大きな穴が開けられる。しかし仕上げは今もシャベル。

教会での葬儀が済むと、棺はトラックに乗せられ墓地へと向かう。
前日に掘られた穴に安置された棺は、祈りを捧げられた後、十字架を立て埋葬される。十字架は町の方向(東)を向いている。頭は十字架の方に向けて(西)。

小雪の舞う中、誰かの歌う賛美歌が妙に染みてくることもあった。
仲の良かった友人の埋葬がほぼ終わり、感慨にふけっているときに、突如晩飯の話を家人に大声で言われ、 一気に現実に引き戻されたこともあった。

いままでどれくらい掘るのを手伝ったろう。
いずれ人は死ぬのだけれど、やはり友人たちに会えなくなるのは寂しい。

2019/04/01

クラウドファンディングのお願い(しません)。

以下、エイプリルフールネタですので、信じちゃいけません。ただし「海洋観測指針」は実在しいます。
すみません、久しぶりの投稿なのに極地ネタではありません。

先日、近所の古本屋さんへ行ったところ、ものすごい本を見つけたのです。
いや、普通の人には大した本ではないのですが、海に関わる人間にとっては大発見なのです。

つい最近まで、気象庁の発行していた「海洋観測指針」という書籍が海洋観測の基本として用いられておりました(近年、急激な観測技術の進歩により、新たな観測指針が必要とされているようです)。
この本「初歩 海洋学汎論」、その海洋観測指針の底本として使用された本なのです。しかし昭和10年(1935年)発行で発行部数は少なく、国会図書館でさえ収蔵されていない希少本となってしまいました。

そんな本が近所の古本屋に置いてあったのですから、見つけた時は小躍りするほどでした。

内容は例えば。。。
生物にとって大切な「溶存酸素量(水に溶けている酸素の量)」の分析は「ウィンクラー法」という方法を今も使っているのですが、この本では「ウヰンクラー氏の手法」となっておりました。使う薬品は今と一緒(「1液:伊液、2液:呂液」というのがすごい)。
「直径一尺の漬物桶の蓋をば舶用塗料で白く塗りて漬物石を取付ければセツキ氏の円盤として使い得るなり」ってなんのことかと思えば、水の透明度を測る「透明度板」の作り方のことでした。
(ちょっとマニアックすぎてわかりにくいですね、ごめんなさい)

海洋観測の基本「海象」として、波の高さ、うねりの大きさを記録するのですが、この頃は「凪」についても非常に細かく分類されていていました。
水産業で動力船がまだ主流ではなかった時代、いかに凪が大切だったのかがわかります(現在、凪は波高、うねりともに「0」の状態です)。
海で遊び人たちにとっては、興味がある分野ではないでしょうか。ちょっと詳しく書き出してみます。
例えば
 α凪:波もうねりもほぼ無いが、風によるさざなみが立っている状態。
 β凪:風が止み、水面が完全に平らになった状態。
 A凪:日出前後、各1時間の凪。通称「朝凪」。
 B〜T凪:日の出ている間を等分し、それぞれの時間体の凪のこと。
 U凪:日没前後1時間の凪。(注、今でいう「夕凪」のこと)
 V〜Z凪:夜間(日没後)の凪。

夜間照明が乏しかった当時は、夜に海に出ることは稀で、夜間の凪はそれほど重要ではなかったようで、昼間と比べて分類が貧弱です。
一方、昼間の凪が細かく分類されているのは、時間帯によって捕れる魚種、漁獲量が大きく異なってくるためだそうです。
この分類は、主に静岡県の三保半島の漁師の間で使われていたものをわかりやすくまとめたものだそう。

ところで。。。
学生時代からの友人で、海洋関係の出版社で編集をしている岩内真実という男にこの本を見せたところ「これは再版して海洋関係の大学に配らなくちゃならん」と鼻息も荒く、現在、再版に向けて関係者と交渉中です。
清水海洋学講習所、今は跡形もなく、静岡県の公文書にもほとんど記録が残っていません。編者の星丸望さんの関係者も見つからず。今も営業している民明書房に問い合わせたところ「著作権は切れているようだし、勝手にやれば?」とのことですが、せめて関係者の承諾はとらないと。
いずれにせよ岩内の出版社は金銭的に余裕がないので、クラウドファンディングで金を集めると言ってます。その節はよろしくお願いいたします。
特典はもちろん、再販した「初歩 海洋学汎論」の優先配布です。
詳細は追って連絡いたします。

2019/01/12

2019年年頭のご挨拶

年が明けて既に10日以上経ってしまいました。
ご挨拶が遅くなりましたが、本年も宜しくお願い致します。
昨年は、例年以上に更新が滞っておりました。申し訳ございませんでした(今年こそは、と毎年言っているような気が。。。)。

この2年ほど、10月くらいからポイントホープ近海の海水温の変化を毎日確認しているのですが(ネットで確認できます)、海水が凍り出す水温、-1.8度になるのが12月に入ってからと、極端に遅くなっております。20世紀終わりくらいまでは、10月下旬には最初の氷が着岸するような状態でしたから、いかに温暖化が進んでいるのかがわかるかと思います。
冬季の積雪も減ってきていますし。

毎年のように、今後20年もしたら、海氷はなくなるんじゃないか、などと話をしていますが、いよいよ現実味を帯びてきている感じです。

 写真は昨年のクジラ猟の様子。氷の状況は一昨年よりは多少は良かったものの、昨年も氷の上で過ごした時間は短め。気温も高めで、5月下旬には海氷は無くなってしまいました(かつては7月に入っても氷が浮いていることもありました)。

果たして今年がどのような状況になるのか、全く見当もつきませんが、何事もなければ、今年も例年通り4月下旬にクジラ猟に向け、日本を出発する予定です。

相変わらずの遅々とした更新状況かと思いますが、今後とも宜しくお願い致します。