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2023/07/27

新聞

今年(2023年)5月のクジラの猟期中、Anchorage Daily News(及びArctic Sounder)の記者の方がポイントホープに取材に来ておりました。
ちょうどそのとき、叔父のJanがクジラを捕り、引き上げ解体の様子を取材して、なかなか良い記事を書いています。

その際、妙な日本人がいる、ってことで声をかけられ、氷の上で簡単な取材を受けたのです。
立て続けに質問をされたところで、近年、ド忘れの度合いが激しくなり、まともに質問に答えられるはずもなく。後日、改めて、家の前で取材を受け、写真を撮られ。

その後も何度か連絡が来て、生まれてから今に至るまでを事細かに聞かれ。
おかげで忘れていた子どもの頃の記憶がいろいろと蘇ってきて、ああ、あの頃はあんなことをしていたり、考えたりしていたんだな、と懐かしい気分になったり。

7月も終わりに近づき、日本に戻って暑さに喘いでいるある早朝、まだ暗いけれど目が覚めて、時間を確認するために、携帯電話を開くと、朝の4時。
また寝よう、と思いつつFacebookを開いてみると、なぜか自分の名前が大量に上がっている。
何事だ? 何か悪いことをしたか?
と、よく見れば、先日の取材結果が記事として上げられています。アラスカの友人たちが、それを読んでシェアしてくれていたのでした。

Anchorage Daily Newsの方は、何度か見ていると、金払え、って言ってくるので、コツビューの週刊新聞、Arctic Sounderのリンクを貼っておきます。

ArcticSounder

プロが撮ると、おっさんの顔でさえ良い顔になりますね。

2022/07/07

独立記念日の夜に

7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日。あちこちの町でお祭り騒ぎをしている。
もちろん、ポイントホープでも。

いつの頃からか、この土地に昔から住んでいた先住民の人たちは、 いったい何から独立したのだろうと考えるようになり、それ以来、一切の行事には参加しなくなってしまった。
町の人たちは、皆楽しそうに様々な行事に参加しているが、自分はいつも家で作業をしているか、海岸で魚をとっているかだ。

翌7月5日の朝。
家主のHが10時の休憩で家に帰ってきた際、これを見ろと携帯電話を差し出した。
そこには、無残に切り倒された、クジラの顎の骨の写真。
言葉を失う。
「誰がやったんだ?」
「さあ、わからない」

ポイントホープには、空港を挟んだ東側に「オールドタウンサイト」と呼ばれる1970年代まで人々の住んでいた町の跡が残っている。
朽ち果てつつある古い家、少しずつ土に帰りつつある、クジラの骨と土でできた「Sod house」と呼ばれるさらに古い土の家など。
1970年代まで、クジラ祭りはオールドタウンサイトで行われていて、今も「Qalgi(カルギ)」と呼ばれる祭りの会場となる場所が残り、そこには巨大なクジラの顎の骨が象徴のように立っている。いや、立っていた。7月4日までは。

古い建物
7月4日の昼間、ホンダに乗ってオールドタウンサイトを走っていた。
ここは観光地でも何でもないので、古い家や土の家は、誰も手を入れることなく、朽ち果てるままになっている。そんな様子を見ながら、いずれみんな土に帰ってしまい、この場所は何もなくなってしまうんだろうか、そんなことを考えていた。
そして、カルギにあるクジラの骨も、いずれは倒れて土に帰っていくのだろうなと、漠然と考えていた。

 ところがその日の晩から翌朝にかけて、誰かの手によって、チェーンソーか何かでクジラの顎の骨は切り倒されてしまった。

切り倒されたクジラの骨の前に立つと、体の芯から寒気が湧き出してくるような感覚に襲われる。
悠然と先人たちの生活を見続けてきた巨大なクジラの顎の骨が、無残にも地面に横たわっている。長いこと風雪に晒され、白く風化しかけた表面にオレンジ色の苔。そしてその切り口を見ると、まだ命さえも残っているのではないか、と思えるほどの生々しさを感る。
大きな骨だけではなく、ブランケットトスのロープを固定するために方形に配置された、4本で一組の小さめの顎の骨4対も上部を無残に切り落とされている。

切り倒されたクジラの顎骨

 骨を切り倒した人たちに、先人たちに対する敬意も自分たちの文化に対する誇りも何もないのだろうか。
悲しさと寂しさの入り混じった気持ちが冷たい風に晒され、さらに寒さが増していく。

近年、食料となる生き物に対する敬意も、昔から続く伝統への配慮も、少しずつ変化してきているような気がしている。
古い時代、過酷な時代を生き抜いてきたお年寄りたちが世を去り、金さえあればほとんどのことが解決できる時代に生まれた世代が増えてきた結果、明らかに彼らの生き方は変わってきている(それは日本でも同じこと)。
だからといって、自分たちの象徴でもあろう、カルギのクジラの骨を切り倒すというのは許されることではなかろう。


シロフクロウ
そういえば、時々、大きな骨の上に、シロフクロウが止まっていたな、などと考えながら、再びホンダを走らせていると、目の前に転がっている流木からシロフクロウが飛び立った。
少し飛ぶと、海岸の砂の上に舞い降りる。
写真を撮ろうと近づいていくと再び飛び立つ。フクロウのあとを追いながらホンダを走らせていると、岬の突端へとたどり着いた。
そこではDがゴマフアザラシが現れるのを待っていた。
今はアンカレジに住んでいて、こちらで仕事があるので数年ぶりに町に戻ってきたとのこと。岬の突端の荒れた海と強い流れ、時々現れるゴマフアザラシを見ながら、他愛のない話をする。
そういえば以前、Dの曽祖父だったかは日本人なんだと教えてもらったことがあった。コツビュー周辺にいる「モト」姓の人たち、船乗りだった山本さんが、地元の女性と結婚して住み着いて「Moto」と名乗ったのだそう。
「いつかは日本に行ってみたいね」とD。

先導してくれたシロフクロウ
しばらく話をしているうちに身体が冷えてきたので、家路につく。

オールドタウンサイトを家に向かうと、先導してくれるようにシロフクロウが飛んでいく。

君は、クジラの骨が切り倒される一部始終を見ていたんじゃないのか?

 

この先、この町はどう変わっていくのだろう。

2022/05/15

ポイントホープへ来ています。

 アンカレジまでのチケットを取った後、ロシアがウクライナへの侵攻を始めた。渡米できるんだろうか? と思ったものの、アメリカはほぼ静観状態(実際は色々やっているのだろうと思う)。問題なく渡航はできそうだ。
例によってコロナウィルス陰性証明が必要で、今回からはワクチン接種証明書も必要となった。デジタル化推進のなんの言ってる割りにものすごいアナログな手続きに唖然としながら接種証明書を取る。ぼったくりのような価格で陰性証明も取る。
必要なものが見つからなかったり、準備はギリギリまで進まず(これはものぐさのため)。

4月25日(月)、閑散とした羽田空港でのチェックインの際に上記書類を確認される。しかし、ちらっと見るだけなので、本当に必要なのか疑問になってしまう。アメリカ入国の際は、これらの書類は一切確認されなかった。
シアトル空港は人で溢れ、マスクをしている人は1割程度。数日前にマスクの義務化が解除され、以降マスク着用は任意とのこと。座る場所を探すのが大変なほどの混み具合。

ポイントホープ到着直前

無事にアンカレジへ到着。友人宅へ転がり込み、再会を喜ぶ。
水曜日のコツビュー行きの便は、コツビューが霧のために着陸できずキャンセルに。木曜日は満席で、結局ポイントホープ到着は、金曜日になってしまった。

到着時点で5頭のクジラが捕れていて、2頭ほどロストしており、4月下旬で猟期は既に後半。

ツルハシで氷を砕いてトレイルを作る
到着数日後、ようやく氷の上に。
新たなキャンプを設けるために、ツルハシで氷を砕き、トレイルを作る。2時間程度の作業で、握力がなくなる。

そしてそのままボートを水際まで運んでクジラを待つことに。2年ぶりのクジラ猟だ(一昨年は国内待機、昨年は7日間のアンカレジでの自宅待機終了後に到着。猟は終了していた)。
時々通り過ぎるベルーガの群れ。それを捕らえるべく銃を構える男たち。

ベルーガを狙う
氷の上にいるだけで幸せな気分になれる。

 クジラを追ってボートが出る。ベルーガの群れもたくさんやってくる。
ボートがクジラを追って出て行き、近くにやってくるベルーガの写真を撮っていると、突然すぐ横で、大きな噴気の音。振り返ると、真っ黒い大きな塊が水面から現れている。クジラだ。
慌ててシャッターを切り、その後沖にいるボートに知らせるべく手を振るが、沖に向かっているために、なかなか気がつかない。
ようやく戻ってきた我々のボートは、何度かクジラに近づいたものの、逃げられてしまった。

突如現れたクジラ

夜(といっても真っ暗にはならない)、気温はマイナス13度程度まで下がる。ほとんどの人はテントで暖まって寝ているが、しっかり着込んでいるためそれほど寒さも感じないので、そりの上で1時間ほど仮眠。
昼間も特に獲物がなさそうな時間に時間に仮眠。
とにかく外にいることが気持ち良い。

氷上生活3日目。誰かが銛を撃ったと連絡が入る。曳航を手伝うためにボートが出る。
昨年亡くなった兄を継いで、今年からキャプテンになった若者が銛を撃ったそうだ。

氷上のキャンプ
ようやくクジラを曳航しているボートが見えてきた。
間も無く解体作業が始まるため、キャンプ撤収の準備を始める。
60フィートだ、巨大だ、と色々な噂が聞こえてくるが、水中での大きさは本当にわからないことが多い(実際は50フィート弱)。
しばらくして我々のボートが戻ってきたので、昼食を食べてからキャンプを撤収する。

寒くても寝る

「これからどうするんだ?」
とキャンプテンに問えば、南風が強まりそうなので、とりあえず様子見で一休み、とのこと。

一休みしてから、クジラが引き上げられている氷上へ。既に胴体部のマクタックは剥がされている。南風が強くなり始めているためか、解体は早い。
我々の取り分(ニギャック)は「カー」と呼ばれる下顎の部位。水面に近く、時々波しぶきを被りながらの解体となる。次第に波風ともに荒くなっているので、素早く解体を済ませ撤収。

他のクルーの中には、ニギャックの一部しか回収できなかったところもあるそう。

クジラを待つ
そしてクジラは全て解体が終わる前に流失。厳しい自然相手ゆえ、そんなことは多々ある。

ちなみに、ほぼ同時期にNHKの取材班として、主にカナダで写真を撮影している大竹英洋さんが一人でやって来ていた。クジラの猟の様子が撮れるのか、はたまた何も撮れないのか、不安の中、撮影をしていたようだったが、見事に猟の様子や解体の様子を撮影することができ、日本で待機していた関係者は大喜びだった模様。
彼は既に町を去っており、今後、NHKの他のクルーと合流してアラスカ各地を取材するとのこと。
製作中の番組の趣旨を考ると、自分はどちらかというと邪魔な存在であろうから、例え画面に映っていたとしても、番組内で触れられることまずはなかろう。

2019/05/08

墓穴を掘る

この町は基本的に土葬で、人が亡くなれば墓地に穴を掘って埋葬している(アンカレジなどで亡くなった場合は火葬されることもある)。
かつては質素な棺に入れるか直接埋葬していたのだろう。古い墓の上には草が生い茂っているものもある(近年、気温が上がってきたため、背の高い草も増え、墓地や普通の場所の違いがよくわからなくなってきている)。
今は豪華な棺に入れて埋葬しているので草が生い茂ることはないが、親族の人々が造花をたくさん置くことがあるので、花が咲き乱れている墓も多い。

滞在中にほぼ毎回葬儀がある。知った人も多く、猟に出ていてる場合などを除き、なるべく出席するようにしている。
人々は普段着のまま教会に集まり、亡くなった人を偲んで賛美歌を歌い、聖書を読み、時に思い出を語り、笑いが起きることも。
日本のような細かいしきたりは一切なく、派手な服はダメ、香典は多すぎても少なすぎてもダメ、ということはない(こちらに香典という風習はないが)。
どんな格好をしていようが、どんな状態だろうが、故人を偲ぶことに関係はないと思う。

基本的に豪華な棺は既製品を購入するが(アンカレジから飛行機で送られてくる)、それ以外はほぼ手作り。そのため墓標の十字架でさえ、親族の家で作られる。
太い材木を十字に組み、紙やすりをかけて表面を滑らかにし、電動ルーターで文字を刻む。それだけ。
古い墓標は朽ちていて誰のものかわからなくなっていたりするが、墓標なんてこれでいいのだろうなと思う。石で永遠に残す必要はあまり感じない。

木枠を入れ、墓穴を掘る
葬儀前日の午後、親族や友人知人の男性が集まり、墓地の空いた場所に穴を掘る。海岸の砂嘴の先にあるこの町は、表面に薄いツンドラの土があるところもあるが、基本的には砂利。墓地も砂利。
掘れば掘るだけ崩れてくるため、棺がすっぽりと収まる大きさの枠を作り、それの内側を掘っていく。

5月上旬くらいまで、まだ墓地内に雪が積もっている。地面は表面から2〜30cmは凍りついていてシャベルだけでは掘り起こせない。
その昔は、暖かくなって地面が溶けるまで遺体を墓地の脇に安置しておいたそうだ。
雪を除くと、凍った地面が現れる
最近はそんな状態でも穴を掘る。ツルハシで地面を砕き、ハンマードリルで地面を砕き。
「みんなで小便すれば、すぐ溶けるぜ」
などという、そこへ埋葬される人に対する敬意も何もなさそうなひどい冗談を言いながら、男たちは穴を掘り続ける。

重機で一気に掘ることも増えた
墓穴掘りは結構な重労働だったのだが、数年前から重機を使うようになってきた。重機を使うと、あっという間に大きな穴が開けられる。しかし仕上げは今もシャベル。

教会での葬儀が済むと、棺はトラックに乗せられ墓地へと向かう。
前日に掘られた穴に安置された棺は、祈りを捧げられた後、十字架を立て埋葬される。十字架は町の方向(東)を向いている。頭は十字架の方に向けて(西)。

小雪の舞う中、誰かの歌う賛美歌が妙に染みてくることもあった。
仲の良かった友人の埋葬がほぼ終わり、感慨にふけっているときに、突如晩飯の話を家人に大声で言われ、 一気に現実に引き戻されたこともあった。

いままでどれくらい掘るのを手伝ったろう。
いずれ人は死ぬのだけれど、やはり友人たちに会えなくなるのは寂しい。

2018/08/02

2018年カグロック雑感

5月終わりころ、スィガロック(天然地下冷凍庫)からマクタックを引っ張り出し、カグロックの準備が始まる。
5月31日午後、元キャプテンから呼び出しがあり、彼の家(部屋が広いので作業をしやすい)のリビング、キッチンに大きなビニールシートを敷きつめ、肉を切るためのベニア板やダンボールを運び込む。キャプテンは仕事に出ていていない。
元キャプテンと若いクルーと一緒に作業をして、ミキアック作りの準備完了。
キャプテン仕事より帰宅
「明日の準備しなくちゃなあ」
「さっきTとやって終わってるよ」
「あ、そう」
なんだかやる気ないな。

6月1日、13時、に集合しミキアックを作り始める。キャプテンは仕事で留守。ミキアック作りの達人、元キャプテン奥さんを中心に作業は進む。
17時過ぎ、仕事帰りのキャプテンがちょっと顔を出すものの、そのまま家に帰ってしまう。
「キャプテンはどこ行ったんだ?」
一通り終了し、晩飯を食べながらつぶやくと
「そうなんだよなあ」
と元キャプテン。
1週間ほど前に発作で一度倒れたキャプテン妻は、無理をしないよう言い聞かされていたが結構頑張っていた。
81歳のIばあちゃんも休みつつも延々と作業を続けていた。

日曜日、ベッドルームから大ゲンカの声。カグロックまであと1週間しかないのに何をやっているんだか。いたたまれたくなり、やることもないのに物置へ避難。
ミキアック作り、ほとんど手伝ってもらえないんだもの、奥さん怒るよなあ。
しばらくして家に戻ると、どうにか仲直りはした様子。
娘曰く、たまにこういう喧嘩するらしい。

家主が仕事中に、自分にできることはじわじわと進める。
スィクパン(薪とともに脂肪を燃やすストーブ)用の古いストーブ、網が剥がれてひん曲がっていたので溶接してみる。自分一人でやる溶接は初めて。調整に失敗して網を焼き切ったりしたものの、どうにか修理完了。
そのストーブ用に集めてきた薪用の流木を電動のこぎりで切りそろえる。
アバラック切断用の大型ナイフの柄についた汚れを落とし、刃を研ぎあげる。
冷凍庫に切り分けて保管してあったアバラック(尾びれ)を5日ほど前に引っ張り出す。隣の家の物置に置き、表面に霜が付いたり結露で濡れたりするので朝晩各1回両面を拭く。
ユーカック(温かい飲み物)用に大きなバケツ2つに雪を集めてくる。溶けたら雪を追加。
などなど。

本番数日前
「だんだんナーヴァスになってきてるだろう?」
「そうだなあ」
キャプテンになって初めてクジラを捕った。さらにこの年最初のクジラを捕っているので、カグロックの際は、まず最初に話をしなくてはならない。
「喋ること紙に書いといたらどうだ?」
絶対にやらないとは思っているけれど、一応助言。
アバラックを配るキャプテン

そして本番。
キャプテン、思いの外しっかりと、そして堂々と、神に対して、人々に対して、感謝の言葉を語ったのだった。

アバラックを配っているときに「シンゴ!」と名前だけ呼ばれた。
アバラックを受け取り、ハグしつつ「ありがとう」というと「愛してるぜ」「オレもだ」。
一瞬涙が出そうになった。

3日目の夜。体育館での踊りと肉やマクタックの配布が終わり、車へ向かう道すがら
「ありがとう、H」
というと、なんだか都合が悪そうな、はにかんだような笑顔をよこしただけだった。

結果的にほぼ元キャプテン夫妻の主導で進んだカグロックだった。
学ぶべきことはまだまだたくさんあるはず。
まあそのうち独り立ちできるだろうとは思うけれど。
応援してるぜ。

2017/05/14

働け

猟に出て間もなく、1頭目の大きなクジラが捕れて徹夜決定。そして朝方、2頭目も捕れ、いったいいつ帰れるのか全く見当もつかなくなる。
霧の中、汚れ作業用の服に着替えに家に帰ったら、メガネが凍りついて前が見えなくなる。
こんな状態なので裸眼の方がよく見える。よく見えるけれどよく見えないので、スピードを出しているとトレイルの穴に落ちそうで怖い。しかしある程度速度を出していないと、氷の山は登れないのでしょうがない。
ようやく1頭目が引き上がり、2頭目に取り掛かる。さすがにみんな疲れていて、引き上げには、いつもより確実に時間がかかっている。

引き上げ終わると、解体が始まり、着ているものは、あっという間に血まみれ脂まみれになる。
解体が進み内臓が開かれると、辺りに異臭が広がる。その横で、息を切らせながら、眠くてクラクラしながら大きなナイフを振り回しいてる。
途中三十分くらい昼寝したら、かなり楽にはなった。それでも身体は重い。
解体が終わりに近づく。血のたまった池の中、不安定な脂肪の塊の上、ふわふわと拠り所のない内臓の上に立ち、最後のマクタックや肉を切り出していく。

家に帰りついたのは結局深夜12時。一体何時間作業してたんだろう。
まい太郎がテレビを見ながら、何か食っているのを横から手を出してつまみ食いしていると
「ねえ、手洗ってきたら?」
と言われたので改めて手を見れば、血まみれのまま。
手だけ洗って、そのまま、ぶっ倒れるように寝てしまい、翌日の昼過ぎ、トイレに行きたくて目を覚まし、鏡を見たらホクロが増えている。返り血だ。顔も洗わず寝てしまったのだった。
昨日のクジラからのシェア、ニギャックをクルーの人数分に均等に切り分けに海岸まで。
一人当たり10キロ以上の肉とマクタック。今度はその肉を茹でるために、冷凍保存するために、処理をしなくてはならない。

見上げれば、白夜の澄んだ空、目の前には青白い色をした氷原。陸に目をやると、クジラの骨が空に向かって伸びている。
どれも日本では珍しいからとても絵になるように見える。
地元の人間にとっては、普段から見慣れたありふれた光景。

クジラの骨で囲まれた墓地も部外者には珍しいものではあるけれど、卒都婆が立ち並ぶ日本の墓地だって、外国人から見れば珍しいものだと思う。
珍しいからって、ここへ眠る人たちに挨拶もせず墓地内を走り回りながら写真を撮りまくるのは、亡くなった人に対する敬意があるのか疑問に思えてしまう。
自分だって墓地の写真を撮っているけれど、写真を撮る前に、必ず帽子を脱いで挨拶している。ここへ来るたびにここへ眠る友だちたちにも挨拶している。

過酷なで血まみれ脂まみれの労働と後始末。猟が終わった時点で始まる次の猟の準備。時に酒を飲んで(違法です)喧嘩したり、いがみ合ったり。マリファナ吸って(合法です)笑ったり、綺麗ごとばかりではなく、普通に生きている人たちがこの町にはいる。

綺麗なところだけを引っ張り出し、どこかで聞いたような綺麗な言葉を添えてみれば、どんな場所も綺麗な詩的な土地になる。
写真家の人、通りすがりの人の綺麗な写真や、綺麗な文章は、多分この町の、あるいは猟の本質の1割程度しか示していないのではなかろうか。
外側の綺麗な包み紙に惑わされてはいけない。

小さなコミュニティ故、通りすがりの人間はとても目立つ。見慣れない格好をした人がカメラを持ってウロウロしているので尚更だ。
そして、通りすがりの人間は、その場にいなくても目立つのだ。
常に、見られていると思ったほうがいい。
だから、なるべく進んで動くようにしている。
それでもよく
「シンゴ、動け!」
と怒鳴られるが。

自戒を込めて。

2016/09/04

シールオイルの作り方

ウグルック(アゴヒゲザラシ)を捕まえた際、必ず作るのが「オゴロック」と呼ぶシールオイル。
実際、シールオイルは、ナッチャック(ワモンアザラシ)で作ることも多いけれど、ここではウグルックの脂肪を使ったシールオイルの作り方を。

 ※ウグルックの解体方法についてはまた別途

段ボールの上で数日間干す。
ウグルックから得られた布団状の脂肪のかたまり。
これを肉の面(内側)を表にして2〜3日、日光に干す。日差しが強ければ、1日でも表面が乾いて薄い茶色に変色するので、そうなると日干しは完了。
日に干すことで、食感、味わいが良くなるのだが、急ぎの場合には、干さなくても問題はない。
なお、干す際に、霧や雨で脂肪が濡れてしまうと傷んでしまうので、濡らさないように気をつける。
 干す前に脂肪についた肉を綺麗に落としておくことが望ましいが、処理する際にまた綺麗にするので、それほど神経質になる必要はない。

端の部分、皮側の凹凸の激しい部分を切り取る。
日干しした脂肪を20cm角程度に切り、汚れた部分、乾燥しすぎた部分などを取り除く。
この作業をしっかりしないと、オゴロックに濁りが生じたり、味が落ちたりする。
日に干した部分に肉が残っていれば、それは切り取る。横の乾燥した部分も切り取る。
明らかに乾き過ぎ、硬くなっている部分も同様。

クリーニング後の脂肪のかたまり。
少々失敗して脂肪が薄くなりすぎている。
この作業にはウル(女性用扇型のナイフ)を使うと非常に作業がしやすいが、脂身相手なので、すぐに切れ味が落ちるため、タッチアップ(他のウルなど固いもので刃をこすり簡易的に研ぐ)したり、やすりやシャープナーで刃を研ぎながらの作業となる。

バケツに入れた脂肪
 クリーニングが済んだ脂肪のかたまりは、幅2〜3cm、長さ5〜10cm程度の短冊状に切り、プラスチックのバケツなどに入れていく。

バケツに入れた脂肪は、室内に入れて室温に置いておく。この際、蓋をして密閉してはいけない。

1日最低1回以上、手でよくかき混ぜる。かき混ぜることで液化が早く進むこともあるようである。
また、室温が低いとなかなか液化が始まらない場合もある。
液化が始まり、短冊状の脂肪のかたまりは次第に縮んでいく。それに伴い、容器の中は金色の液体で満たされいく。

ある程度液化が進んだ段階(固形物がおおよそ半分になった程度)で完成。
すぐに使用しない場合は、そのまま冷凍庫に保存する。

すっかり縮んでしまった短冊状の脂肪は「オゴロガック」と呼び、食用となる。

これにウグルックの干物を漬け込んだものが「ミックー(ミプクー)」である。
ミックーは、ニンジンとともに食べることが多い。
これはニンジンに含まれる脂溶性のビタミンAを摂取するために合理的な方法だと思われる。

かつて電気冷蔵庫のなかった時代、シールオイルは万能の保存料として使われていたそうで、卵(ウミガラスの卵など)シールオイルに漬けて冷暗所に保存しておくと、長期保存が可能だったそうである。

2015/12/05

冒険フォーラム、交流ひろば

交流ひろばでの展示
11月22日、明治大学で行われた兵庫県豊岡市(植村冒険館)主催の冒険フォーラム。

植村直己が追い続けた世界 
      なぜ、極地なのか

 その際、別会場で行われていた交流広場での展示状況。

大きく伸ばした写真とともにウミアックの模型、マクラックなどを展示した。
午前、午後各1回、地平線会議の丸山純さんに作っていただいたスライドを使ってのトークショー。
午前は画面のでスライドショーができなくなってしまったが、丸山さんの質問に答える形で、展示写真などの説明。
午後はスライドを見ながら、やはり丸山さんの質問に答える形で話をする。20分と短い時間だったが、丸山さんの司会のおかげで、無事に時間内で終了した。
左は風書の月風かおりさんの展示

午後の部は、ほぼ満席で知った顔もちらほら。
わざわざ展示を見に来てくれた人、久しぶりに会う友人。こういう機会でもないと、古い友人に会えないというのもどうなのか、という気がしないでもないが、会えるだけでも有り難いと思う。

ディスプレイをはさんだ左側では、風書家の月風かおりさんの、南極で行った風書のパフォーマンス似ついての展示。
見た目は細く華奢な感じの方なのに、 バイクであちこち走り回り、世界中を旅している。
月風かおりさんのトークショー
南極の雪の上で、着物と足袋でのパフォーマンス。下世話な話だが、寒くないのだろうか、というのが最初の疑問。
ちょっと考えればわかることで、パフォーマンスをやっている状況では、寒さなど感じないくらいの精神状態ではないのだろうか。

途中、冒険フォーラムのメイン会場へ。
大場満郎さんを始めとする極地に関わってきた人たちのパネルディスカッション。
シオラパルクに滞在中の山崎さんの展示
有益でとても面白い話なのだが、いかんせん4名のパネリストにたくさんの写真とたくさんの話題と限られた時間。どこか物足りない感じのまま、終了時間となってしまった。

交流ひろばには、犬ぞりで北極圏を旅し続けている、山崎哲秀さんの写真と、グリーンランドで収集した銛先などが展示されている。
彼は今、シオラパルク滞在中のため、本人不在の展示。
エスキモーの剣玉と知恵の輪。剣玉は偶然一度だけ、上手く入った。信じられない。
知恵の輪は、しばらくやっていたけれど、結局解けなかった。

終了後、交流会という名の飲み会。
植村直己さんの出身地、兵庫県豊岡市からのおいしい料理が隣で行われている冒険フォーラム懇親会会場からたくさん届けられる。非常に腹が減っていたので、有り難くいただく。

そういえばと、懇親会会場を覗きにいくと、そろそろお開きのような状態。大場さんに挨拶を、と思ったら既に山形へ帰ってしまったとのこと。
振り返るとパネルディスカッションのゲストとして来場していた市毛良枝さんが、司会者の江本嘉伸さんとともに立っている。市毛さんに挨拶をして、とりあえず自己紹介。
市毛さんにお会いできたことで、今回の目的は果たすことができたのだった。

ところで、今回のフォーラムのお題「なぜ、極地なのか」
自分が「極地」に関わるようになったきっかけは中学生の頃読んだ植村直己の著書「北極圏1万2000キロ」であり「極北に駆ける」だった。そして気が付けば20年以上「極地」に通い続けている。自分にとっての極地、すなわち北極は、大好きな人たちがいて、大好きな風景がある、大切な場所だ。だから「極地」なのだ。 

今回は、自分の展示があるにもかかわらず、仕事の関係で全く手伝うことができず、ほぼすべてを地平線会議のスタッフの皆さん、とくに丸山さんにお願いしてしまった。
地平線会議の江本さん、丸山さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございます。

2015/08/16

YouTube

ブログ内でもいくつか紹介していますが、ポイントホープなどで撮影した動画をいくつかYouTubeで公開しております。
一度ブログで紹介してしまうと、同じような動画は紹介しきれなくなるので、改めてここで紹介させていただきます。

エスキモーダンス
 クジラ祭りでのダンス
 ファイティングダンス
 ローラ婆ちゃんのダンス

ナルカタック(ブランケットトス)
 ブランケットトス1
 ブランケットトス2
 ブランケットトス3

ホッキョククジラ
 鳴き声1
 鳴き声2
 鳴き声3(自作水中マイク使用、ブリーチングの映像あり)
 鳴き声4(自作水中マイク使用)
 親子のクジラ
 海の中の音(自作水中マイクによるステレオ録音、イヤホン、ヘッドホンの使用がお勧め)
 Voice from the Arctic Ocean 2018年10月13日、地平線会議主催の「地平線3分映画祭」出展作品。どうしたことか準グランプリ受賞。

ベルーガ(シロイルカ)
 シロイルカの群れの歌声(自作水中マイク使用)
 シロイルカの群れ(氷上より)

ウミガラスの卵拾い
 卵拾い1
 卵拾い2
 卵拾い3

ウグルック(アゴヒゲアザラシ)
 ウグルック猟

氷の動き
 クジラ猟にて
 6月の氷

雲や空
 その1
 その2
 その3(コツビュー)

トレイル
 ツンドラの丘陵地を行く
 スーサイドヒルを下る
 蚊の群れの中を走る
 ノアタック川(コツビュー)

その他
 ポイントホープの水たまりのミジンコ

2015/07/27

いつもと違う

本来なら全面結氷しているはずの2月でも水面が見えていることがあった2015年のポイントホープ。近年は年が明けても開水面が見えていることが多くなったようだ。
薄い氷に生じたクラック
4月初め、町の南、海岸近くに開水面が生じ、クジラの猟が始まった。
早速小型のクジラ(10m弱)が2頭、立て続けに捕れ、今年の猟も順調かと思いきや、その後は開水面が閉じてしまい、薄い氷は5月上旬まで開くことはなかった。
5月上旬、ようやく氷が開いたものの、氷は20cm程度と非常に薄く、たとえクジラが捕れたとしても、果たしてどこへ引き上げれば良いのかという状態だった。
潮の流れ、風による浮氷の移動は早く、猟に出て数時間後には水面が閉じてしまうということが続いた。

流れる氷 (YouTube)
その間、シャーベット状の氷が浮いた小さな水面で、全長5メートルほどの産まれて間もないクジラを捕ってしまうという「事件」もあったが、わずか数日で5月の猟は終了。

その後は強い北風が吹こうが南風が吹こうが、薄い氷は全く動くことはなく、雨と日差しで、氷はさらに薄くなっていった。
5月中旬以降、衛星写真を見ると、ベーリング海の氷はほとんどなく、ポイントホープの周りにわずかに張り付くように残っているような状態だが、氷は全く動かない。

5月下旬になり強い北風が吹き続け、ようやく氷が動き始めたが、今度は風が止まない。風が止まなければ、ボートを出すことはできず、悩ましい日々が続く。

6月になりようやく風が止むが、既にクジラの姿はない。ウグルック(アゴヒケアザラシ)猟の季節になってしまった。
氷上のクラカケアザラシ
氷の上、まだ小さなアゴヒケアザラシ(アレギラック)がいる、と近寄るとそれはクラカケアザラシ。なかなか逃げないので簡単に仕留められる。しかしこの町では食べることはない。
例年、クラカケアザラシを見ることは滅多にない。
また、この時期の海にはアゴヒケアザラシかワモンアザラシしか見ないはずなのだが、ゴマフアザラシ(カシギァック)が群れをなして泳いでいる。アゴヒケアザラシだと思って仕留めた獲物がゴマフアザラシだったことが何度かあった。
この町ではゴマフアザラシを食べることはない。
例年だとゴマフアザラシは、アゴヒケアザラシ猟のあと、海から氷が無くなったあとに波間で遊んでいるのを見るくらいなのだが。

穏やかな日は2日程、その後、吹き始めた強い北風によって氷は沖へと流され、海岸近くに氷はほとんど無くなってしまった。そして次の南風でわずかに氷は戻ってきたものの、強風と波に氷は打ち砕かれてしまった。
大きな波に翻弄される砕かれた氷。こんな様子は生まれてこのかた見たことがない、そんなことを言う人も多かった。

大きな波に翻弄される砕かれた氷の映像(YouTube)
 
6月中旬には完全に氷は無くなり、クジラ祭り、カグロックの際に海には氷がないことは前代未聞だ、とのことだった。

ホッキョクジリス
海は例年にない変化だったが、陸上でもちょっとした変化が起きていた。
町の周りのツンドラにはホッキョクジリス(スィグリック)という大型のリスが生息している。
ツンドラに立って耳をすますと、シュクシュクという鳴き声が聞こえ、周りを見回すとあちこちにいる、そんな状態だった。去年までは。
ところが今年はリスの姿を時々見かける程度で生息数が激減している。
シロフクロウ
町から数マイル離れたキャンプのあるツンドラでもリスの姿はあまり見かけなかった。
代わりに増えたのはシロフクロウ。かつては見かけることさえ難しかったのに、昨年あたりから、ヌヴック(岬の先端)近くのオールドタウンサイト(昔の町があった場所)へ行くと、クジラの骨の上、古い家の上に止まっている姿を良く見かける。
シロフクロウがリスを全て食べてしまったとは思えないのだが(この付近にはネズミも多い)。

海も陸も何かが大きく変わり始めているのだろうか。それとも今年だけのことなのだろうか。
その答えはまだわからない。

2015/07/08

米とコーラ

「日本人ってのは毎日米ばっかり食ってて飽きないのか?」
「米を食ってるって言っても、米だけ食ってるわけじゃないからなあ。他のものも一緒に食べてるし」
「でも朝昼晩と食うときもあるんだろう?」
「そんな人もいるね。うちの両親がそうだよ」
「それでも飽きないのかな」
「生まれて間もなくから米ばっかり食ってるからねえ」
「ふーん」
「おまえだってその赤い缶、飽きないのかよ。毎日何本も飲んでるだろう?」
「これは食べ物じゃなくて飲み物だから」
「どっちにしたって糖分のとり過ぎだと思うよ」
「そうだなあ、じゃあたまには違うのも飲むか」
冷蔵庫から出してきた別の炭酸飲料。
「ええっと、コーラの砂糖が39グラム、こっちが33グラム。ちょっとだけ砂糖が少ない、と。 大して変わらないよ」

この家は月に数百ドルをコーラに使っている。これだけ飲み続けて、よく病気にならないものだと感心する。いや、既になりかかっているのかもしれない。
何を言ってもコーラを辞めようとしないので、自主性に任せるしかないのだが。

2015/04/24

ごきぶり

「ゴキブリは?」
「2週間くらい前に見た」
「絶対に連れて来るなよ。途中、コツビューあたりでカバンを開けてちゃんと確認しろよな」

そんな会話から数日後、成田を離陸した飛行機は、一路韓国のインチョン空港を目指すのだった。
インチョンで乗り換えて10時間、ようやくシアトルへ到着。入国審査はいつになく長い行列で、30分以上待たされた挙げ句、目的のアンカレジ行きの便には間に合わなくなってしまった
よくあることなのか、アラスカ航空の窓口では、すぐに次の便に振り替えてもらえ、2時間遅れでアンカレジ到着。

妹が結婚してアンカレジに住んでいるので、彼の旦那に空港まで迎えに来てもらう。妹と言っても、乳も母も違い、全く血の繫がりのない妹だけれど。

妹の家で2泊。ポイントホープから七面鳥を買ってこいとの指令。近所のスーパーで10キロもある巨大な肉のかたまりを買い、その他にも鶏肉やらジャガイモなど買い込む。

朝、早めに空港へと送ってもらい、さっさとチェックイン。食糧を詰め込んだクーラーボックスが重量超過で割増し料金75ドル。
「どうする?」
と言われても。
「払いたくない」と言っても聞いてもらえそうも無かったので、渋々支払う。
チェックインして空港内を歩いていると、花束を持ったおっさんがこっちを向いて、誰かと何かを喋っている。喋りながらもそのおっさん、しきりにこちらを見つめている。誰だろうと思ったら、ポイントホープ在住の友人だった。
「何してるの? 花束なんか持って」
「3週間も家を留守にしてたから、嫁さんにあげるんだよ」
元々良く喋るおっさん。すれ違う人にいちいち声をかけている。
そんな人だから向こうからも声をかけて来る。
「お、その花束はオレにか?」
「あんたはオレの嫁さんには見えないな、残念だが違うねえ」

さて、搭乗の時間になってもなかなか搭乗が始まる様子が無い。そのうちアナウンスがあり、貨物室の扉が折からの大雪のおかげで気密性が無くなったので修理している、とのこと。アラスカのなのに雪に弱いのか。
しばし待たされ、1時間遅れでようやく搭乗したものの、今度は気密性のチェックをするので、一度降りてくれとのこと。
「そんなもん、中でタバコ吸えば一発でわかるだろ? 隙間から煙が漏れ出すから」
そんなことを言いながらも誰もいやな顔をせずに降りていく。
そして30分後、再搭乗。ちょうど昼時。
「やあ、また会えたね」と客の一人。
ユーコン川上流付近の蛇行と三日月湖
「私の昼ご飯、持って来てくれた?」と客を迎える客室乗務員。
そんなわけのわからん会話をするこの余裕。誰も怒っていないし、焦っていない。さすがアラスカ。

飛行機は一路、コツビューへ。眼下に見える、未だ凍った川と三日月湖に、いつも通りドキドキしているうちに、コツビュー。
ズドン!と着陸。「ぎゃっ!」と叫ぶおばちゃん。こんな荒い操縦じゃ、機体も痛むよな。

空港でポイントホープ行きの便を確保して、友人に連絡。すぐに迎えに来るとのこと。
チェックインは16時と言っていたから、多少は時間があるので、友人宅で昼飯でも食べて、コーヒーでも飲んで。。。

16時に空港へ行くと、飛行機は既に雲の上。
「あんた15:30に来るベきだったのよ。明日の朝の便予約しとく?」
こんな飛行機に乗る。セスナ社製の正真正銘のセスナ機
田舎の空港の気楽さ、その場で翌朝の便を予約してくれた。
既に預けてあった荷物。さすが七面鳥だけあって、先にポイントホープへ飛んで行ってしまった。

恥ずかしながらも再び友人を呼び出して、家に戻る。
友人夫妻は、日本からやって来た間抜けを巻込んで、今宵は何をしようかと、楽しそうに企んでいる。スノーゴー(スノーモービル)でキャビンに行こうとか聞こえて来る。
「暖かい上着も手袋もブーツも何も無いよ(先に飛んで行ってしまった)」
「だいじょーぶ。全部あるから」
というわけでスノーモービルに乗って、ノアタック川の河口近くにある彼らの作りかけのキャビンまで、資材を運ぶことに。

走り出して間もなく、オーバーヒートのランプが点灯し始め、警告音も鳴り始める。
キャビンのすぐ裏側。夏は蚊の巣窟になる
「こんなの点いてるんだけど、大丈夫なの?」
「お前、ゆっくり走りすぎなんだよ。もっとスピード出さないと」
はあ、そう言うものなのか?
スピードを出すと、雪面の凹凸を拾って、人間だけ吹っ飛ばされそうになるけれど、確かにオーバーヒートのランプは消える。

海の上から川の上、そして川岸の丘陵に上がりキャビン到着。 広くて、おまけに冷蔵庫まで用意してある。内装が終わったらテレビも入れるな、これは。
持って来た荷物を下ろし、帰路に付く。
帰りはほぼ全開で(個人の感覚です)。

翌朝。言われた時間の5分程前に空港へ行き、窓口へ。
「今日はポイントホープ行きはまだ出てない?」
「大丈夫、間に合ったよ」
ほっと一息。昨日の快晴とは打って変わって雪が降り続いている。

白波の様に見える部分も薄く凍っている。
1時間後、降りしきる雪の中、搭乗開始。そして出発。
あとは現地の天候次第。目的地が霧や強風だったら、コツビューまで引き返すこともある。
ポイントホープに近づくにつれ雲が切れ始め、眼下の海氷が見えて来る。水面は見えるが、薄い氷に覆われている。これでは猟はできないだろう。
そして着陸。いつもの町。いつもの風景、知った顔がいくつか見える。

父ちゃんが迎えに来てくれていた。
昨夜、12時半くらいまで猟に出ていたそうで、疲れた顔をしている。
とりあえず父ちゃんの家に行くと、母ちゃんと弟と彼の息子、まいたろーがいた。
これはミキアック
みんな元気そうで何より。そして戻って来たことをとても喜んでくれている。
昼飯にミキアックと「臭いマクタック」を食べて、早速幸せな気分。

これから3ヶ月過ごす、弟の家に行く。
「テレビの調子が悪いんだ。衛星アンテナのケーブルの接続不良らしい。外の接続用のスイッチングボックスじゃないかと思うんだけど」
雪の中、家の裏に回りケーブルの接続の確認。特に問題はなさそう。色々いじっているうちに、テレビは完全に写らなくなる。
 「テレビが見られない。どうしよう、信じられん」
落ち込みようが凄まじい。
「ビデオでも見てればよかろ? で、今日はさっさと寝れば良いよ」

先に飛んで来た七面鳥は、すでにポットに入り調理が始まっている。そう、今日は弟の誕生日。
七面鳥、ポテトサラダ、マッシュポテト、トウモロコシ、ケーキ、アップルパイ、フルーツサラダ。食い過ぎた。

部屋で休んでいると誰か来た様子。アンテナの配線をチェックしている。詳しい人を呼んだようだ。しばらくして彼の出した結論は、スイッチングボックス不良。
ならば明日、新しいものを注文しよう、ということになる。テレビの件はとりあえずおしまい。

部屋で荷物を整理していると、弟がやって来た。
「バッグの中にゴキブリ入ってないだろうな」
「大丈夫、アンカレジの妹のところで一度荷物は開けたから」
「OK、それなら安心だ」

ポイントホープにたどり着いたものの、まだ何も始まっていない。

2015/01/21

さようなら

2015年1月14日、ポイントホープで最初に友だちになった大好きなエミリーが亡くなった。63歳、若すぎる死だ。

彼女は双子の娘を一度に亡くすという、とても辛い思いもしていた。
その二人のことがあったのだろう。50近くなって、また子どもが育てたいからと、養子をもらって育てていた。
今、14歳のその子は、自律したしっかりした女性に育っている。

「勉強をするのに遅すぎるってことは無いのよ」と言いながら、50歳を過ぎてから、大学の勉強を始め、毎年何らかの単位を取っていた。

一緒に暮らしていたボーイフレンドのビリーは、トリンギット・インディアン。彼もまたエミリーと同じように巨体で、二人の漫才のようなやり取りを聞いているのは、とても楽しかった。

大きな声、巨体を揺らしながら、忙しく働いていたエミリー。
他人に対して厳しいことを言うけれど、それは優しさの現れ。
遠くにいても、怒鳴り散らしたり、喜んだりする、その大きな声で、エミリーがそこにいることはすぐわかった。

子どもの頃から忙しく、働き詰めで、エスキモーらしく生きて来た。

そしてあっけなくいなくなってしまった。

さようなら、エミリー。ありがとう、エミリー。
あなたがいなかったら、ぼくはポイントホープへ通うことはなかったかもしれない。
2014年6月、クジラ祭りにて。ガンの治療中で相当弱って
いたにもかかわらず、何事もないように作業をしていた。

妹のアアナ(右と)(2014年6月)

1993年、初めてあった頃

アンカレジでエミリーのお別れ会のその日、 ぼくのアラスカの妹、ヒラリーに女の子どもが生まれた。
その子は、エミリーのエスキモー名Aumaqpaqを引き継いだ。
おかえり、Aumaqpaq。

2014/05/02

寿司

ポイントホープで一番古い友人の一人、Eが病気治療のためアンカレジに滞在中とのことで、日本からポイントホープへ向かう途中、彼女が泊まっているホテルを訪ねた(退院してホテルから通院している)。
ドアをノックすると、まるで子どものように泣きながら現れた彼女。
いつも気丈で元気な彼女がおいおい泣いている姿を見ていると、とても不安になってしまう。
 「ねえ、泣かないでよ」
ハグしたまま泣き続けるE。再会できた事が、よほど嬉しかったのか。
Eの巨体をハグしながら、体型がほぼ病気になる前のままだったので、ちょっとだけ安心した。
そして、しばらくして落ち着いたのか、いつもの笑顔が戻って来た。

病気なので何を食べていいのか、食べてはいけないのか分からなかったので、お見舞いに食べ物は持って来なかったが、聞けば特に食事制限はないとのこと。冷蔵庫の中には、友人、親戚が持って来てくれたマクタックやらカリブーの肉がたくさん入っていた。
そしてあまり体重を落としてしまうと病気に対抗できなくなるので、それほど痩せていないらしい。薬の影響で髪の毛が亡くなる人もいるが、彼女の場合はほぼ以前のまま。

次第に口が回り始め、自分の病気の話も、笑い飛ばしそうな勢いになって来た。やはりEはこうでなくちゃ。

傍らに常にぶら下げているバッグから胸にパイプが伸びていて、そこから体内の患部へ薬剤が常に注入されているのだそう。
座るたびに傍らに置き、立ち上がる際に肩に下げる。
「ウェストバッグのように、腰に巻けないの?」
「あ、それは考えても見なかった」
しかし太い彼女の腰はどこにあるのかよくわからない。。。

自分の携帯電話の中の写真を見せていると、日本を出る直前に撮った寿司の写真があった。
「あんた、これ、生の魚食べてるんでしょ?」
「寿司と言ったら生の魚だけど」
「すごいもん食べるのねえ」
「エスキモーって生のもの食わなかったっけ? 生の魚とか生の肉とか」
「何言っているの、私は生もの食わないわよ」
「はい?」
「凍らせて食べているの。あれは生じゃないの」

そう。エスキモーの人たちが食べている「凍らせた」肉や魚は、「生」ではないのだ。
熟成させた食べ物も「生」ではない。
「生」とは、凍らせず、熟成させていない動物から、直接切り取ったものの事と考えればよいのか。
本田勝一氏の著書にあったように、アザラシなどを解体しながら食べる場合は生なのだろう。そう言う意味ではポイントホープの人たちは、「生」のものは、一切食べない。

内緒なのだが、カリブーの袋角(成長中の角)の「生」の先端部分や「生」の肝臓は、捕れたてをその場で食うととても美味。
ただし、どんな病気が待ち受けているかは知らない(今も元気だから、たぶん大丈夫。たぶん)。

それはともかく、早く元気になってもらって、ポイントホープでEの明るく大きな笑い声を聞きたい。

2014/03/17

飲み物の秘密

「新しい冷蔵庫を買ったよ」
「へぇ、どんなやつ?」
「製氷機がついていて、冷たい水も出てくるやつ」
「おお、いいじゃん、で何を入れる? やっぱりコカコーラ?」

先日、新しい冷蔵庫を買ったと電話がかかってきた。買ったのは冷蔵庫だけではなく、台所用のストーブ(ガス台、オーブンがセットになったもの)他、高額な品々各種。臨時収入があった模様。
そんな会話の中で出てきたコカコーラ。
実はHの家の主要飲料は缶入りのコカコーラである。
そのほかの飲み物は、果汁が入っているのかいないのかわからないジュースとエバミルク(濃縮牛乳、砂糖の入っていない練乳)。

エバミルクは7歳の長男が3倍に薄めてもらったものを哺乳瓶に入れて飲んでいる( これについのコメントは特にない)。

家主のHと奥方のEは、毎日水代わりにコカコーラを飲んでいる。
午前中、職場で1本。昼食時に1本。午後、職場で1本。帰宅して1本。夕食時に1本、テレビを見ながら1本、寝る前に1本。
これだけで7本。毎回1本丸々空けるわけではなく、半分ほど飲んで、そのまま忘れてしまい、温まったコーラはいらないと、捨ててしまうものも多いので、都合1日5本分程度飲んでいることになる。

冷蔵庫には、常に36本入りのコーラの箱が2箱入っている。台所の戸棚には4箱ほど保存してあるが、こんな調子で飲んでいるし、人が訪ねてくれば、コーラを勧め、仲の良い人たちは勝手に冷蔵庫からコーラを出して飲んでいるので、コーラは見る見る減って行く。

コーラなどの炭酸飲料は、町にある店で買うと、1本1ドル以上するので、代金引換の通信販売で買っている(1本1ドル以下)。
郵便物は郵便局まで引き取りに行かなくてはならないので、何箱ものコーラを注文しておいて、台所のコーラが無くなったら、現金や小切手を持って、受け取りに行く。郵便局を物置代わりにしているのだ。

「金持ってる? コーラが無くなっちゃったから郵便局から出してきてもらえないかな? 次の給料日には返すから」
彼らの給料日は2週間に一度。各種ローンを支払い、日々の食料であるやたらと高い鶏肉や冷凍食品を町の店で買うと、あっと言う間に給料はなくなる(らしい)ので、給料日にコーラ代を払って貰ったことはない。
しかし居候の身分で、自分も1日1本くらいはコーラを飲んでいるので、あまり文句は言えない。

「ねえ、喉が乾いちゃったからコーラ持って来て。さっき買ったの不味くて飲めないのよ」
夕方4時過ぎ、家で洗濯物を畳んでいると、Eから電話がかかってきた。
仕事は5時までなんだから、ちょっと我慢すりゃいいのに、と思いつつ、彼女の職場までコーラを持って行く。
「もう、大変よ。飲み物無いから喉に詰まるかと思ったわよ」
ポテトチップスの大袋を指差しながら、Eが言う。
そんな物、食ってるから、のども乾くわけだ。
「これさ、すっごく不味いのよ。買うんじゃなかった」
と、傍らにあった一口だけ飲んだと「バニラ・コーク」のボトルを指差す。
甘いコーラにバニラの香りをつけた、さらに甘ったるく感じるバニラ・コーク。
「そんなもの飲まないで水でも飲んでれば?」
「水なんか飲まないわよ。あんた飲んでなさいよ」
ええ、水、飲んでますとも。
 「コーラばっかり飲んでないで、コーヒーでも飲めば?」
「あんなまずいもの、誰が飲むもんですか」
Eはコーラやジュースなど甘い物しか飲まない。 その結果なのか何なのか、巨体を持て余し、30代にして総入れ歯。
余談だが、Eが外出する際、入れ歯を口に入れながら、出かけていく姿は、スーパーヘビー級のボクサーが、マウスピースをはめながらリングの中央へと向かっていく姿を思い浮かべてしまう。
ただし、ボクサーは引締まった筋肉質だが、彼女はぼよんぼよん脂質。

Eはかつて、大きな病気をして、しばらくシアトルの大病院に入院していたことがある。生死に係るような病気で、長期入院しながら薬物治療を受けていた。
しばらくして無事に退院したと聞き、一安心したとともに、重い病気の薬物治療、快復したとはいえ容姿がどれだけ変わってしまったのか、とても心配だった。
翌年春、いつものようにポイントホープを訪れると、彼女の姿は、薬物治療のために髪の毛が短くなっていたものの 、それ以外はなんら変化はなかった。
「げっそりと痩せてしまったかと思ったのに、ぜんぜん変わってないじゃない」
「だって、病院の食事が美味しくないんだもの」
病院の食事がおいしくなくて、痩せていないってどういうことだ??
「Hが毎日ハンバーガー買ってきてくれたの。もちろんコーラも一緒に」
「病室でそんなもの食ってよかったの?」
「内緒なんだけどね」
他の病気にならないことを望む。。。

ある日のHとの会話。
「お前さあ、あんまりコーラばっかり飲んでると病気になってしまうよ」
「大丈夫だよ、父ちゃんだって病気になってないし」
そんなHも数ヶ月だけコーラを止めたことがある。理由はただ、「やってみたかった」から。そのときは、コーラの代わりにペットボトルに入った水を飲み続けていたそうだ。その結果、体重は10キロ以上落ちたという。
ただ、その間も、EはHの横でコーラを飲み続けていたので、結局は誘惑に負けて、元のコーラ生活に戻ってしまったが。

その「病気になっていなかったHの父ちゃん」は、毎日大量のコーラを飲み続けていたが、50代になってから、体重の増加、高血圧などを理由にコーラを含む炭酸飲料を飲むのをぴたりと止め、普段はブラックコーヒーや水を飲んでいる。

クジラの猟に出る際も炭酸飲料は欠かさない。凍らないようにクーラーバッグに入れて置いてあり、誰でも好きなときに好きなように飲めるようになっている。
各自こだわりがあり、コカコーラしか飲まない、ペプシしか飲まない人がいるので、コカコーラ、ペプシ、ルートビアなど、数種類の炭酸飲料が大量に入っている。
一仕事して大汗をかいたあとに飲む炭酸飲料はとても美味い。
氷点下10度近いときでも、きちんとした服を着ていれば、冷たい炭酸飲料も抵抗無く飲める。それどころか、大量の糖分が身体を温めてくれるような気がしないでもない。
 炭酸飲料のクーラーバッグの横には、キャンディーバー(スニッカーズなどのチョコレート類)など軽食の入ったバッグが置いてある。
そのキャンディーバーを食べながら、コーラを飲んでいると「自分は一体どれだけ大量の糖分をとっているんだ?」という疑問と罪悪感のような気分が湧き出して来る。そんなときは、軽食のバッグに入っている魔法瓶のブラックコーヒーを飲んで、気分を紛らわせている。

かつて、エスキモーは不飽和脂肪酸の豊富なアザラシの脂を摂るので心臓病のリスクが低い、と言われていた。
今ではアザラシの脂肪を摂る量は減ってきており、若者の中には、アザラシ類を一切食べないものもいる。
食生活がアメリカ化してきた結果、Hの父ちゃんのように血圧を下げる薬が必要な人は多い。糖分の取りすぎで糖尿病予備軍も多いことだろう。
 エスキモーに限らず、アメリカの先住民の間では、糖尿病などの成人病が深刻な問題となっている。
1日に3本炭酸飲料を飲めば、砂糖を100グラム以上摂取することになる。その他に甘いチョコや高カロリーの食事を食べ、先祖伝来の食事は減り、さらに野菜はあまり食べない。
身体も悪くなろう。

Hの家族、せめて1日に飲むコーラの量を半分にして欲しいと思うのだ。せっかく水が出てくる冷蔵庫を買ったのだから、水を飲んで欲しい。

「1年間にコーラにいくら使ってる?」
「うーん、わからない。計算したことない」
「コーラを飲むのをやめると、ものすごく大金持ちになれると思うよ」
「ああ、たぶんね」
「ホンダだって1~2台買えるんじゃないの?」
「かもしれないねえ」

2014/02/18

ジョー

「おう、シンゴ、今年も来たんだな」
「あ、うん。ええっと.。。。」
聞いたことのある声、見たことのある風貌、だけど誰だか思い出せない。
「何だお前、オレが誰かわからないのか? ジョー、ジョー・フランクソンだよ」
「なんだ、ジョーか、久しぶり。サングラスして帽子なんてかぶってるから誰か分からなかったよ」
5月、氷の上でクジラを引き上げる準備をしているときのこと。80歳近くなっても、今も現役のクジラ猟のキャプテンのジョー。
クジラを捕った直後のジョー
普段、サングラスもしていないし帽子もかぶっていないので、本当に誰だか分からなかった。

数日後、そのジョーのクルーがクジラを捕ったと連絡が入った。小さなクジラだったので、現場にたどり着いたときには、クジラは既に氷の上。
キャプテンのジョーにおめでとうと言ってから、解体の輪に加わる。 我々のニギャック(分け前)分を切り取り、ついでに他のクルーの分も手伝って、解体はあっという間に終了した。

その年のカグロック(クジラ祭り)2日目。
ジョーが人々の名前を呼びながら、クジラの尾びれ「アヴァラック」を配っているところ

を写真を撮りながら、うろうろしていた。
アヴァラックを切るクルーを見守るジョー
「シンゴー、シンゴいるか? シンゴ・キニヴァック」
ジョーが呼んでいる。
「キニヴァック」は自分の所属するクジラ組のキャプテンのラストネーム。一応、自分はキャプテンの息子ということになっているので、間違えではない(と思う)。
ジョーがこちらを見ながら、いたずらっぽい目で笑っている。周りの人たちも笑っている。
「ありがとう、ジョー」
アヴァラックを受け取り、ジョーとハグをする。

ジョーはこの年を最後に、キャプテンを後任に譲った。しかし翌年も積極的に猟には出続けていた。

2014年、ジョーがアンカレジの病院へ入院したと聞いた。脳溢血だったらしい。
娘のHが時々、Facebookにジョーとのやり取りを載せていたので、まだ回復の見込みはあるものと思っていた。
しかし、次第にHの書き込みは減っていった。

ある暖かい冬の日の午後、打合せ帰りに電車に乗って携帯電話でFacebookを見ていた。誰かが元気な頃のジョーの写真をアップし「R.I.P.」と記していた。
「Rest in Peace」日本語にすれば「ご冥福をお祈りいたします」

また、ポイントホープの歴史を知る一人がこの世の中からいなくなってしまった。なんと寂しいことだろう。
ジョー、まさかこんなにあっけなく行ってしまうとは思わなかったよ。

2013/10/08

ネズミ

ポイントホープでは、8月も下旬を過ぎると、もうすっかり秋である。
その頃になると、川を遡るマス類の漁のために、内陸のククピァック川へ出かける人が増えてくる。
ククピァック川での漁は、秋から冬、氷が張り込めても行われている。

ククピァック川で捕れる主な魚のひとつに、グレイリング(カワヒメマス)がいる。
日本ではあまりなじみがないが、一部の管理釣り場(釣り堀)で釣ることが可能。また、一部の川や湖で「特定外来魚」として、厄介者扱いされている魚でもある。
背びれが非常に大きく、他のマス類とはすぐに区別が付く。マス類の中ではもっとも美しい魚と言われている(らしい)。
ポイントホープでは、主に凍らせたものをナイフでぶつ切りにしてから皮を剥ぎ、適当な大きさに切って、シールオイルを付けて食べる(コークと言う)。肉も美味だが、胃袋も貝のような歯ごたえがあって美味しい(他のマス類は胃袋を食べる人は少ないと思われる)。

今年もポイントホープにグレイリングの季節がやってきた。
フェイスブックに大漁のグレイリングの写真を載せているポイントホープの友人が何人もいた。
そのフェイスブックに上げられたいくつかの写真の中に、妙な写真が1枚。
ダンボールの上で腹部を開かれたグレイリングの横に、びしょ濡れの毛玉のようなものが二つ。なんだろう? と思ってコメントを読んでみると
「グレイリングの腹の中から、ネズミが2匹出て来た。こんなのは始めてだ」
と。
北海道のイトウなどは、かなり獰猛で陸上に住むネズミなどを食べると聞いたことはあるが、グレイリングがネズミを食べるとは聞いたことがない。

そんな矢先、ポイントホープの居候先の主、Hから電話がかかって来た。
「なあ、知ってるか? Jが捕ったグレイリングの腹からネズミが出て来たんだよ」
「ああ、知ってるよ。フェイスブックに写真が出てたよ」
「オレはもう、金輪際グレイリングは食わないからね」
Hは普段、魚を凍らせたも「コーク」はほとんど食べないのだが、唯一食べるのがグレイリングだった。

約2週間後、再びHからの電話。
「知ってるか? グレイリングの腹からネズミが出て来た話」
「うん、この間してくれたよね」
「父ちゃんがグレイリングくれるって言ったんだけど、オレは食わないからいらないって言ったんだよ」
「もう、そっちはかなり寒いんだろう? 川も凍ってるんじゃないの?」
「そうだね、そろそろ凍ってるかもしれないね。でも今日は暖かかったから、少し融けたかもしれないけど」
ちなみに、Hはみんなが魚をくれるので、わざわざ川まで魚を捕りに行くことはない。
「だとしたら、もう川辺にネズミはいないんじゃない? グレイリングの腹からネズミは出て来ないと思うよ」
「いや、もう食わない。絶対に食わない」

以前にも書いたが、彼はネズミが大嫌いである。怖いらしい。
ちなみに虫も嫌いであることも以前に書いた。
夏、レストランから買って来たハンバーガーの包みからハエが飛び出して来たことがあった。
「オレは二度とレストランのものは食わない」
と言っていたのに、2週間もしたら再びレストランのハンバーガーを食っていた。
なので、ほとぼりが冷めた頃には、再びグレイリングを食べているのではないかと思うのである。

2013/08/14

わたくしと「ば」

朝、目が覚めたらまず1本。ま、1本で終わることはなくて、平均すると3本くらいかな。
そうすると朝ごはんを抜いても苦にならないし、なかなかいいよ。

外から帰ってきたら、一休みしながら、とりあえず1本はいきたいね。
寝る前にも欠かさないよ。だって安心して寝られるからね。

猟から帰って来て、すぐの1本も最高だね。特に獲物が捕れたときなんて、言葉にならないよ。

1本やりながら、ソファに横になって見るテレビもいいよね。
え? 何を見るかって? ナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリーは面白くて好きだよ。
でも、あの動物どうしが、様々な知恵と技を使って激闘するあの番組が一番すきだな。
え? 知らないの? 昔からやっているネコとネズミが激闘するあの番組を?
まぁ、いい。

ところで一本やる際、毛布が欠かせないことは君も知っているよね。あの毛布もなんでもいいわけではないんだよ。
何年も使い続けているお気に入りの一枚。時々洗濯されてしまって、お気に入りの香りが飛んでしまうことが難点と言えば難点かな。ま、すぐにもとにもどるけどね。
===========================

以上、現在6歳のとある少年の証言を勝手にまとめて見た。
普通だと2歳くらいまでにはやめるであろう「哺乳瓶」を未だに愛用している彼。
それなりに恥ずかしいと感じているようで、一応友だちには内緒。
彼の家の冷蔵庫には、彼が3歳くらいのときの哺乳瓶をくわえている写真が張ってある。
友だちがその写真を見ている。
「昔、哺乳瓶を使ってた頃の写真だね」
と、彼は何事も無いように言ってのけた。
横で聞いていた我々は爆笑していたのは言うまでもない。

彼は起きるとパンツ一丁で自分のところまでやってくる。そして
「Shingo make me Bo!」
「Bo」は「bottle(哺乳瓶)」のこと。日本語風の発音だと「ば」。
エバミルクという濃縮ミルクを3倍ほどに薄めて作ってあげる。
「自分で作れよ」
と言うけれど、未だ誰かに作らせている。
そしてお気に入りの毛布で哺乳瓶を包み隠すようにして、トムとジェリーや、アラスカ関係の番組を見ながら、チュウチュウ吸っている。

ところで、ポイントホープに限らず、エスキモーの人たちの多くは、養子のやり取りは珍しいことではなく、子どもを育てたいと思ったら、何の躊躇もなく養子をもらう。
その結果、両親と全く顔つきが違う子どもたちがたくさんいる。結構年をとったカップルの間に、幼い子どもがいたりする。
そしてほとんどの子どもたちは、自分に産みの親がいることを知っている。
産みの親と育ての親が違うことによるイジメやドロドロしたドラマは全くない。

本編の主人公の場合も、育ての母親の兄夫婦から、生まれてすぐに養子としてもらわれて来た子どもである。
そのため、母乳を知らないが、彼の哺乳瓶好きと何か関係があるのかはわからない。

さて、その彼、ついでに言うと、未だ尻を自分で拭けない。
台所で調理していようが、ベッドでくつろいでいようが、バスルームから声がかかる。
「Shingo done!(シンゴ、終わった!)」
バスルームへ行くと、四つん這いで尻をこちらへ向けて待っている。
ぶつぶつ文句を言いながら、尻を拭いてやる。
「写真撮ってやろうか? で、ベッキーに見せてあげよう」
「やだ。絶対ダメ」

来年は、哺乳瓶作りも尻拭きも終了していることを望みたい。

2013/06/03

新しい長靴を履いて。。

Amazon.comに注文しておいた新しいブーツが届いた。氷点下数十度まで耐えられる防寒ゴム長だ。これで多少の水たまりも、湿った雪の中も気にせずに入って行ける。
特に今年は、5月中旬に例年に無い大雪が降り、ツンドラは至る所に残雪が残っていた。しかしここ数日、気温が上がり始め、その雪も溶け、時々雨も降るようになって来ているので、この長靴が活躍するだろう。

気温が上がって来たので、外の物置に置いてあったベルーガ(シロイルカ)の尾びれと胸びれが融け始めて来た。これは6月に行われるクジラ祭りで町の人たちに振る舞うもの。傷んでしまっては振る舞えないので、1970年代まで居住地のあった「オールドタウンサイト」付近にある、スイガロックというツンドラに穴を掘った天然の冷凍庫へ放り込みに行くことに。
さっそく、届いたばかりの新しい長靴を履き、こちらへ来る直前に日本で買った、ほとんど履いていない新しいスキーパンツ(防寒用オーバーパンツ)を履いてホンダで出かける。
途中、深い雪にスタックしながらも、どうにかスィガロックにたどり着く。
新しい長靴は全く冷たさを感じず、湿雪にも強く、快適そのもの。

スィガロックは永久凍土の地面に穴を掘り、保管庫にしたもの。冷凍庫が無かった昔は、とても活躍していたことだろう。
今は冷凍庫に入りきらないクジラの肉やマクタックなどを一時的に保管しておいたり、この町で「アギロック」と呼ぶクジラの尾の身の部分を秋まで入れておいて熟成させるために使用している。

※スィガロックに一時的に保管しておいたマクタックや肉は、熟成されて味が良くなっているので、多くの人、特にお年寄りに好まれている。

スィガロックにたどり着き、蓋を開けると、先週来たときには無かったものがたくさん入っている。
覗き込みながら唖然とする。
「いつもこの時期はこんなこと無いのにな」
「うん、初めて見たよ、こんなの」
スィガロックの中は、深さの半分程度まで水で満たされていた。
中に詰められた肉などはすべて水の下。
「ベルーガのしっぽを放り込むだけの簡単な仕事だと思ったのになあ...」
そう言いながらも紐付きのバケツで水を汲み出す準備を始める。

ある程度水を汲み出したが、まだ肉の隙間にはかなり大量の水が入っている。
「シンゴ、お前中に入って水をバケツに入れられるか?」
「んー、たぶんね」
この時期、マクタックや肉がたくさん入っているので、大きな人はスィガロックの中に入りにくい。周囲を見回すと、自分が一番小さいのだ(どんな場合も、大体自分が一番小さい)。

永久凍土とはいえ、1年中地表面まで凍っているわけではなく、暖かくなれば地表面近くの凍土は融けて来る。特に夏は結構深くまで融けるようだ(なので植物も生育できる)。
融けた氷は水となってスィガロックの中へと流れ込んで来るのは自然なこと。

スィガロックの中に入る。中はあちこち凍り付いていて、霜も付いているものの、1ヶ所からしずくが垂れている箇所がある。
スィガロックの中。クジラの骨で骨組みが組まれている。
骨の表面には霜が付いているが、写真の下の方には水。
「これだね、水のもとは。ここのところ暖かかったら、地表近くの氷が融けて来たんだろうね」

脂まみれの小さなバケツを使って、油の浮いた水を紐付きの大きなバケツに入れる。
脂肪層のついたマクタックや、脂肪でくるんで熟成中のアギロックなどを入れてあるので、スィガロックの中は脂まみれ。そして古くなって粘ついた脂も多い。
中へ入るとわかっていたら、古いブーツを履いてきたのに。古いスキーパンツを履いてきたのに。でも後の祭り。
ジャケットは古着屋で買ってからだいぶ年月の経った年季の入ったものなので、これだけはあきらめが付く。


何杯くらいくみ出したろう、ようやく底が見えて来た。
「明日もまた見に来なくちゃいけないね」
ジャケット、スキーパンツ、長靴ともに粘つく脂でぎとぎとに。特に新しい長靴は脂とスィガロック周りの枯れ草が張り付いて、ひどいことになっている。
周りに残った雪で脂をこすり落としてみたが、気休めにしかならない。

這い出て来たところ。
結局翌日も脂で汚れた長靴とスキーパンツ、ジャケットを着て水汲みに。
再びスィガロックの中に入り込んで、5ガロンのバケツで16杯分。バケツ8割で汲み上げていたとして、おおよそ250リットルほど。恐らく初日はその倍、500リットルくらいは汲み出しただろう。

日増しに水の量は減りつつあるが、気温も日増しに上昇している。
スィガロックへ潜る日々はしばらく続きそうだ。

2013/05/23

イライジャ

クジラ猟の元キャプテンで、牧師をしていたイライジャが亡くなった。
昨年のカグロック(クジラ祭り)の際、みんなの前で話をしていたのを聞いたのが、自分にとって最後の説教だった。

この町のキャプテンのほとんどは、キャプテン引退後数年で人生も引退してしまう。 色々な意味で引き際がわかっているのかもしれない。

イラジじゃの葬儀にて、歌う人たち
教会へ行くと、白い聖衣をまとったイライジャが聖書を片手に、わかりやすく説教をしていた。
何か行事の時は、必ず最初に祈りを捧げるのもイライジャだった。

でも、今日は違った。
説教をしているはずのイライジャは 棺の中に横たわり、代わりによその町からやって来た白人の牧師が何か話をしていた。

トラックに乗せられた棺
以前、海岸でクジラ猟の準備をしているとき、 いつの間にか傍らにイライジャが立っていたことがあった。
「どこからかミキアックの匂いがするな」
聞いたことのある声がするので振り返ると、満面の笑みのイライジャ。
ミキアックとは、クジラの肉とマクタック(皮の部分)などを使って作った食べ物の名前。そのときはクジラが捕れる前なので、ミキアックがあるわけもない。
そう、自分のエスキモー名はミキアック。彼はいつも「ミキアック」と呼んでくれていた。

この2ヶ月、ポイントホープではイライジャを含めて2名の牧師が亡くなった。
墓地へ向かう車列
もう一人の亡くなった牧師、ウィルフォードも魅力的な人だった。特に彼のエスキモーダンスは、見る人を笑顔にする、とても良いダンスだった。
イライジャも夫婦で、素敵なダンスを踊っていた。

人は年を取り、人生を全うしてこの世から去って行く。それはわかっている。でも、いつもそこに立っているはずの人がいない、というのはとてつもなく寂しいものだ。