7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日。あちこちの町でお祭り騒ぎをしている。
もちろん、ポイントホープでも。
いつの頃からか、この土地に昔から住んでいた先住民の人たちは、 いったい何から独立したのだろうと考えるようになり、それ以来、一切の行事には参加しなくなってしまった。
町の人たちは、皆楽しそうに様々な行事に参加しているが、自分はいつも家で作業をしているか、海岸で魚をとっているかだ。
翌7月5日の朝。
家主のHが10時の休憩で家に帰ってきた際、これを見ろと携帯電話を差し出した。
そこには、無残に切り倒された、クジラの顎の骨の写真。
言葉を失う。
「誰がやったんだ?」
「さあ、わからない」
ポイントホープには、空港を挟んだ東側に「オールドタウンサイト」と呼ばれる1970年代まで人々の住んでいた町の跡が残っている。
朽ち果てつつある古い家、少しずつ土に帰りつつある、クジラの骨と土でできた「Sod house」と呼ばれるさらに古い土の家など。
1970年代まで、クジラ祭りはオールドタウンサイトで行われていて、今も「Qalgi(カルギ)」と呼ばれる祭りの会場となる場所が残り、そこには巨大なクジラの顎の骨が象徴のように立っている。いや、立っていた。7月4日までは。
古い建物 |
ここは観光地でも何でもないので、古い家や土の家は、誰も手を入れることなく、朽ち果てるままになっている。そんな様子を見ながら、いずれみんな土に帰ってしまい、この場所は何もなくなってしまうんだろうか、そんなことを考えていた。
そして、カルギにあるクジラの骨も、いずれは倒れて土に帰っていくのだろうなと、漠然と考えていた。
ところがその日の晩から翌朝にかけて、誰かの手によって、チェーンソーか何かでクジラの顎の骨は切り倒されてしまった。
切り倒されたクジラの骨の前に立つと、体の芯から寒気が湧き出してくるような感覚に襲われる。
悠然と先人たちの生活を見続けてきた巨大なクジラの顎の骨が、無残にも地面に横たわっている。長いこと風雪に晒され、白く風化しかけた表面にオレンジ色の苔。そしてその切り口を見ると、まだ命さえも残っているのではないか、と思えるほどの生々しさを感る。
大きな骨だけではなく、ブランケットトスのロープを固定するために方形に配置された、4本で一組の小さめの顎の骨4対も上部を無残に切り落とされている。
切り倒されたクジラの顎骨 |
骨を切り倒した人たちに、先人たちに対する敬意も自分たちの文化に対する誇りも何もないのだろうか。
悲しさと寂しさの入り混じった気持ちが冷たい風に晒され、さらに寒さが増していく。
近年、食料となる生き物に対する敬意も、昔から続く伝統への配慮も、少しずつ変化してきているような気がしている。
古い時代、過酷な時代を生き抜いてきたお年寄りたちが世を去り、金さえあればほとんどのことが解決できる時代に生まれた世代が増えてきた結果、明らかに彼らの生き方は変わってきている(それは日本でも同じこと)。
だからといって、自分たちの象徴でもあろう、カルギのクジラの骨を切り倒すというのは許されることではなかろう。
シロフクロウ |
少し飛ぶと、海岸の砂の上に舞い降りる。
写真を撮ろうと近づいていくと再び飛び立つ。フクロウのあとを追いながらホンダを走らせていると、岬の突端へとたどり着いた。
そこではDがゴマフアザラシが現れるのを待っていた。
今はアンカレジに住んでいて、こちらで仕事があるので数年ぶりに町に戻ってきたとのこと。岬の突端の荒れた海と強い流れ、時々現れるゴマフアザラシを見ながら、他愛のない話をする。
そういえば以前、Dの曽祖父だったかは日本人なんだと教えてもらったことがあった。コツビュー周辺にいる「モト」姓の人たち、船乗りだった山本さんが、地元の女性と結婚して住み着いて「Moto」と名乗ったのだそう。
「いつかは日本に行ってみたいね」とD。
先導してくれたシロフクロウ |
オールドタウンサイトを家に向かうと、先導してくれるようにシロフクロウが飛んでいく。
君は、クジラの骨が切り倒される一部始終を見ていたんじゃないのか?
この先、この町はどう変わっていくのだろう。
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