2013/01/12

仕事

今日、猟だけで自給自足をしているエスキモーはいないのではないだろうか(自分が知らないだけかもしれないが)。アラスカなどの原野で、好んで自給自足に近い暮らしをしているのは、ほとんど白人である。
弓矢を使わなくなってしまったので、猟をするためには弾丸が必要。犬ぞりを使わなくなってしまったので、移動の手段はガソリンが必要。大きくて広い家なので、アザラシやクジラの脂を使った石のランプでは、部屋を暖めることはできないので、電気や石油が必要。
そんなわけで、エスキモーと言えど生きて行くためには、現金が必要である。

ポイントホープに限らず、僻地の町では仕事は限られていて、定職に就いていない(就けない)人も多い。
定職に就いていなくても、年末に結構な額の配当が州などからあるので、節約して暮らせば、それなりに暮らして行けるはずだが、節約をしようという考えはあまりなさそうである。
もちろん、年末以外にも現金は必要なので、定職に就いていない人のために「仕事のための仕事」が、 町のネイティブコーポレーション(地元民が出資して作った会社)から出ることがある。

結婚したものの定職がなく、ぷらぷらしていたHは、ある日そんな仕事にありついた。
10日間程度の短期の仕事だったが、時給は確か40ドル(当時のレートで3500円程度)、1日8時間働いて320ドルという、日本では考えられないような日当だった。
 夕方、Hが仕事を終えて帰って来た。
「すげー疲れた」
「今日は何してたの?」
「1日中ポンプを見てた」
ツンドラの奥の水源池に続く町外れの未舗装の一本道。そこに雪解けでできた巨大な水溜り。その水溜まりの水を汲み出しているポンプを監視する、という仕事だそう。
「それって一人で見てるわけ?」
「いや、3人で」
「ポンプに燃料入れたりするんだろ?」
「いや、何もしない。ただ見てるだけ」
「それで疲れたとか言ってるなよな」
あまりにヒマだから、一日中、ツンドラを飛んでいる鳥に石を投げていた日もあったとか。
「散弾銃でも持って行けば、カモでも撃てたんじゃないの?」
「いや、仕事だから銃は無理」

そんなHも、数年後にようやく建物のメンテナンスを行う定職を得た。
えらく呑気な職場で、上司が見ていない間に、仲間同士で水の掛け合いをしてびしょぬれになってみたり、物陰に隠れて脅かしっこをしたり。
嬉しそうに相手にしたいたずらのことを語るHに対して
「おまえら、小学生か?」
と何度言ったことか。

ある日の昼休み、Hが職場から昼食を食べに帰ってくるべき時間。Hはベッドルームから出て来た。
「あれ、今日休み? 仕事行ってるのかと思ったよ」
「昨日の夜、眠れなくてさ、テレビ見てたら朝になっちゃって」
「で?」
「5時頃寝たら、今度は起きられなくて休んだ」
こんな調子で、意外と簡単に仕事をさぼっている。日本でそれをやると、すぐにクビだ。

その日の午後3時過ぎ。
「ベニア板余ってたよな」
とH。
「使いかけの大きいのが1枚あるよ」
「電動ドライバーは?」
「カニッチャック(玄関のホール)に置いてある」
「物置からネジを10本くらい持って来てくれる?」
「いいよ、何するの?」
「ちょっとRのところへ。まだ仕事は終わってないはずだし」
「はあ?」
「ま、いいからついて来いよ」

ということで、仕事をさぼったHと一緒に、ベニア板、電動ドライバー、ネジを持って、ホンダに乗ってHの同僚、Rの家に。

ドアをノックして中にRがいないことを確認。
「じゃ、そっち押さえておいて」
ベニア板をドア前に置くと、ドアの外枠に電動ドライバーでネジ止めし始めた。
「H、お前さあ、仕事さぼって何やってるんだよ」
「Rが家に入れないようにベニア板でドアをふさいでるんだよ」
「いや、そりゃ見ればわかるけど」

5分ほどで、ドアはベニア板でふさがれた。
「この間職場でRに水と小麦粉ぶっかけられたんだよ。その仕返し」
「仕事さぼっておいて、よくやるよな」


Rが帰宅するのは4時半過ぎのはず。
5時過ぎ。常にスイッチの入っている無線機からRの声が聞こえ始めた。
「誰がこんなことしやがったんだ? ぶっ殺してやる」
しばらく無線機から罵詈雑言が聞こえていたが、やがて静かになった。
無線機はどこの家にもあるので、町中の人たちがRの罵詈雑言を聞いている。しかし、なぜRが怒り狂っているのか、わかっているのは我々だけだったろう。

その日、仕事から帰ったRは、玄関がベニア板でふさがれているのを見つけ、電動ドライバーを探しに一度職場に戻った。しかし、そういう日に限って電動ドライバーはなく、やむを得ず手回しで10本ほどのネジを外して家に入ったのだそう。

エスキモーの人たちは冗談が好きで、よく冗談を言って笑っている。
相手が激怒する今回のようないたずらでも、HもRも、翌日にはお互いに笑いながら話していたそうだ。
深刻な失敗をしたとしても、数日後にはその失敗談を笑い話として笑い飛ばしている。
過酷な環境をも笑い飛ばせるような強靭な人たち、エスキモーとはそんな人たちだと自分は思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿