肯定する際に頷くのは、日本人もアメリカ人も一緒。同様に頭を横に振れば否定の意味になる。
地球上すべての人たちが、頷くことが肯定で、頭を横に振ることが否定の意味を持つわけではないとは思う。
エスキモーも、頷きは肯定で、首を横に振るのは否定なのだが…
10年以上前のこと。台所で夕飯の用意をしていると、当時10歳弱のその家の長女、Hがやって来た。
「晩御飯一緒に食べる?」
と聞いたが、彼女は何も答えず、ちょっと表情を変えただけで、そのまま自分の部屋へ戻って行った。
夕飯の準備ができると、Hは部屋から出てきて、一緒に食べていた。
その後も、自分が何かしているところへ顔を出したHに質問をしても、ちょっと表情を変えるだけで何も答えない。
「YesかNoくらい言えよ」
と何度も言うのだけれど、ちょっと顔の表情を変えるだけで反応はなかった。
それから数年。エスキモーの人たちと長く過ごしていて、ようやく気がついた。
実はH、自分の質問にきちんと答えていたのだった。
Yes、Noを示す動作は頷いたり頭を横に振ることだけではなかった。
エスキモーの人たちも普段の会話の中で頷くし、頭を横に振る。
しかし、表情を見ているとわかるのだが、頷きながら眉を上に上げ、頭を横に振りながら、しかめっ面をする。
何も言わず、頭も動かさず、静かに眉を上げる、しかめ面をするだけで、肯定、否定を示すことも多い。
あのとき、Hは一瞬眉を上げて「Yes」と言っていたのだった。一瞬しかめ面をして「No」と言っていたのだ。
その一瞬の表情の違いが、自分には理解できなかったのだ。
「No」というときにしかめ面になるので、慣れないと「断固拒否」という印象を受けるのだが、別にそんなことはない。
強い否定のときは、口で「No」と強く言うし、顔のしかめ具合も強く長くなるので、違いはよくわかる。
気がつけば自分も、眉を上げて、しかめ面をしてYes、Noをするようになっていた。困ったことに、そのクセが帰国後も抜けず、友人と会話の最中、何も言わず眉を上げている自分に気がついて、慌てて頷いてみたり。
アンカレジ在住のエスキモーの友人宅に、白人女性が遊びに来た。
友人が彼女に何か質問をすると、思いきり眉を上げながら「No」と言った。
あれ? YesなのかNoなのか? 何だこの違和感。白人が普通に喋っているんだから、Noなのだよな。
一瞬、混乱した。
ある年の夏、コツビュー(ここもエスキモーの町)に滞在中のこと。居候先の奥さんMが、一人旅をしていた真面目そうな日本人の若者を連れて来た(コツビューに日本人が来ることはあまりない)。
文法に乗っ取った綺麗な英語を喋る彼。ただし発音はローマ字読みの日本風なので、Mには全く聞き取れない。
「今、彼はなんて言ったの? 通訳してよ」
彼は一所懸命正しい英語を喋っているのに、通訳してよ、とは。文法めちゃくちゃの自分の英語の方が通じるとは…
そのうち、Mは生真面目そうな彼をおもちゃにし始めた。
「エスキモーのYesとNoを教えてあげる」
と、例の眉を上げる、しかめ面をする、を教えた。
しかし彼、あまり表情が豊かではない様子。眉を上げるのに相当苦労している。
Mは、普段、彼女が顔の産毛を抜くのに使っている鏡を持ち出し、これを見ながらやってごらんと、彼に渡す。
鏡を覗き込んで四苦八苦している彼の姿を見ながら大笑いしているMは、何も知らない日本人の若者をいじめているように見える。
「練習して、明日までにできるようにしておいて」
ホテルに戻る彼に、Mはそんなことを言っていた。
生真面目な彼は、その晩、バスルームで鏡とにらめっこしながら、ずっと練習していたそうだ。
翌日、彼は少し様になった「Yes」をしていた。顔がつりそうだ、と言いながら。
「今度コツビューに来たら、もっとうまくできるようになっているね」
と、M。
しかし、Mに懲りたのか、彼はそれっきりコツビューに戻ってくることはなかった。
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