「魚釣りへ行くけど、一緒に行く?」
Hが声をかけて来た。
トンプソン岬の向こう、オゴトロック川(Ogotoruk Creek)でマス(アークティックチャー、ホッキョクイワナ)が釣れているらしい。釣り竿、ルアー、サンドイッチや飲み物を用意して、オゴトロック川を目指す。
空から見たオゴトロック川河口 |
水爆の父と言われたエドワード・テラーが、オゴトロック川の河口部に水爆を使って海岸部を掘り込み、港を作ろうとした。
核爆弾で地面を掘り込んだらどうなるか。かつてソ連では、水爆で灌漑用の池を作ってみたものの、大量に発生した放射性物質のおかげで、使い物にならない池が出来上がった。
ポイントホープ周辺に港を作ったところで、使い道は無い。嵐のための避難港を目的にしていたようだが、この付近を航行する大型船は夏にやってくるバージ(貨物船)程度。1年の半分以上を氷に閉ざされるこの付近に港を作るのはほとんど意味のないこと。
ただ、テラーが自分の欲求を満たしたいだけだった。
このチャリオット計画の一環で、放射性物質を埋めて何らかの実験を行ったとか、いまだに放射性物質が埋められているとか、様々な噂があるが、この先、ポイントホープの人たちが合衆国政府から真実を知らされることは無いだろう。
チャリオット計画は、ポイントホープのダニエル・リズバーンが中心となった反対運動によって、中止となった。
ダニエル・リズバーン、当時(2000年)、既に故人だったが一緒に釣りに来たHの母方の祖父である。
トンプソン岬の広い丘の上をホンダで走って行くと、広大なオゴトロック渓谷が見えてくる。
急な斜面を下って川の右岸へと降り、小さな流れをいくつか越えながら河口へと向かう。
放置された軍用車両 |
小屋の背後にはトンプソン岬の大きな丘がそびえている。左岸側はよく見えないが、どうやら滑走路があるようだ。
河口部は海岸段丘になっていて、急な斜面を降りれば、海岸の砂浜へと降りられる。
どこかの本に「岸壁」という書き方をしていたが、オゴトロック川の河口部には、海岸段丘はあるものの、岸壁は無い。
川を見れば、魚の群れが引き起こす小さなさざ波が見えている。
「シンゴはこの竿使って」
渡されたのは、コンパクトロッドという、たたむと30cmほど、延ばしても1m程度の小さな竿と、見るからにちゃちな小さなリール。釣り糸だけはやたらと太いものが巻いてあり、どんな魚が掛かっても切れることはなさそうだ。
しかし、これに大型のサケやマス用のルアーを付けて投げると、すぐにすべての糸が出てしまうほど、わずかな糸しか巻かれていない。
ちなみにHは普通の竿とリール。
何種類かルアーを使ってみた結果、メップスのサイクロプスというルアーのオレンジ色が良いとわかった(アラスカではどこでも売っている普通のルアー)。
河口付近とはいえ川幅は狭く、ルアーを投げると対岸に届いてしまうこともある。そしてその状態で糸はすべて出てしまっている。そこをうまく調整しながら竿を振る。
Hが一投ごとに魚を上げ始めた。
こちらのルアーにも同じように魚が掛かり始めたが、魚を外すのに手こずっていると
「早くしろ、魚がいなくなってしまうぞ」
なぜか焦っているH。
そうこうしているうちに、やたらと重い魚が掛かった。リールのドラッグを締め上げても、小さいリールなので空回りして動かない。魚を弱らせてから岸に寄せて引き上げるのが、テレビで見た釣りの手法のようだが、糸はすべて出てしまっているし、竿もおもちゃのようで折れてしまいそう。魚を弱らせている余裕はなさそうなので、Hを呼んだ。
「しょうがないからそのまま引きずり上げよう」
糸が切れないように気をつけながら、竿を水平にしてずるずると魚を岸に引き寄せる。自分はどんどん川から離れて行き、魚はどんどん岸へと近づいてくる。
しばらくすると魚が岸に上がったらしく、近くに転がっていた木の棒でHが魚の頭をひっぱたいている。
釣れたマス |
「でかいなあ。こんなでかいの始めて釣ったよ」
その後も釣り続け、二人で76尾。自分の釣ったマスが今回、最大の獲物だった。
釣りに夢中になり、膀胱がすっかり満タンになっていた。ジーンズのジッパーのタブをつまもうとしたが、冷たい水と空気ですっかり冷えきってしまった指先は思い通り動かず、タブをつまむことができない。
このままでは漏らしてしまう、かなり焦り始めたころ、どうにかタブをつまんで開けることができた。
これから寒いところへ行くときは、簡単に脱げるズボンを履くようにしよう。
軍の宿舎跡 |
閉め切った暗い小屋。焚き火の赤い光に中にいる人たちの顔が照らし出される。
誰かがマリファナを吸い始めた。げほげほとむせる音が狭い小屋の中に響き渡る。枯れ葉が燃えるような独特の匂いが漂い始め、匂いで気持ち悪くなってくる。自分もラリってしまったらどうしよう、などと考えていたが、匂いが気持ち悪いだけで、何も起こらなかった。
身体が温まったところで、それぞれ帰途につく。
凹凸の激しいツンドラを走っているうちに、大量の魚の入った袋から魚がこぼれ落ちそうになっている。
ホンダを止めて荷物を縛り直して、家に戻り、改めて魚の数を数えると、75尾になっていた。
「ツンドラに魚が落ちてるの見つけたら、みんなびっくりするだろうね」
釣って来た魚の半分以上をお年寄りや近所に配り、残りは冷凍庫へ。
自分の釣った最大の1尾を輪切りにして、塩こしょうをかけてオーブンで焼いて食べた。もちろん、うまいに決まっている。
我々の釣果を聞いた人たちが、翌日、オゴトロック川へ釣りに出かけたが、1尾も釣れなかったそうだ。
現在、オゴトロック川の河口部の軍の施設跡は、綺麗に整地され、避難小屋として小屋が1軒残されたのみで、かつて放置されていた軍用車両も無く、更地になってしまっている。
2000年に釣りに来て以降も、何度もカリブー猟などでこの付近を訪れることがある。
もし、ここで核爆弾が爆発していたら、この付近で一切の猟ができなくなるどころか、ポイントホープやここからさほど遠くないキヴァリナという町も、人が住むことはできなくなっていただろう。
チャリオット計画についてはDan O'Neill氏の「the firecracker boys」という本が詳しい(洋書)。
日本国内で出版されている和書で、チャリオット計画について触れている本のほとんどは(全く引用先を触れていないが)、ほぼ、この本からの引用である。
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