2014/01/22

クジラの切り方

ポイントホープの場合、クジラに最初に銛を打ったクジラ組のキャプテンにそのクジラの所有権があり、解体から分配まで、そのキャプテンの指示に従うことになる。
ただし、分配方法にはポイントホープに伝わる手法があるため、好き勝手に分配するわけにはいかない。

銛が脊椎にあたれば、一発でクジラが死ぬが、滅多にそういうことはないので、付近にいた他のクジラ組が続けて銛を打つことになる。
たとえば、付近にいたクジラ組3組の銛だけでクジラが絶命したとする。4組目が現場にたどり着いたとき、クジラは既にロープに縛られ海に浮いている。4組目は、ボートのパドルでクジラに触れる。そのことで4番目に銛を打ったと見なされる。以下、5番、6番目も同様である。

クジラを曳航中
クジラを曵いて氷の際まで。かつては手漕ぎのウミァックで延々とパドルを動かし続けていたが、近年はスピードボート(モーターボート)を使うことが多くなり、肉体的には楽になって来ている。
それでもクジラを氷の際まで運んで来るのに、何艘ものボートで数時間かかることも多い。

各部の名称
クジラに印を付ける
右のピンク色の部分はマクタックを切り取った場所
氷の際まで運んで来たクジラは、水中にある状態で、尾びれ「アヴァラック」を切り取る。その後、切り分ける目印にするため、ロープとナイフを使い、クジラの胴体を回転させながら印を付けていく。
銛を打った順番で、貰える部位「ニギャック(分け前)」が決まっている。
例えば3番銛は「カー(下顎の部分)」5番銛は「スィルヴィック(腹部)」など(右図参照)。
クジラが氷の際へ曵き寄せられ、ある程度印が付けられると、胴体の「ウアティ」と呼ばれる部位から表皮(マクタック)の一部が切り取られ、その場で茹でられて、作業している人たちに振る舞われる。
そして滑車とロープを使ってクジラ氷上へ引き上げ、クジラに付けられた印に従って解体を勧めていく(引き上げ、解体についてはそのうち)。

2013年6月、50フィート(15m)ほどの巨大なクジラが捕れた。我々のクジラ組は、5番目にクジラに触れたので(クジラにたどり着いたとき、既に絶命し曳航がはじまっていた)、我々のニギャックはスィルヴィックとなった。
猟期も終わりに近い6月、氷は薄く、クジラを引き上げるたびに、クジラの重みで薄い氷が割れ、解体は難航した。
マクタックを剥ぎ取り、クジラを少し軽くしてから引き上げを試みたが、相変わらず氷は割れ続ける。
次第にクジラ周辺の氷は危険な状態になり、結局一部のマクタックと肉しか回収できなかった。そして我々のニギャックは最後まで切り取ることはできなかった。
 そんな状態でも、一番銛を打ったクジラ組のキャプテンから、町の各戸、猟に参加したクジラ組のキャプテンにマクタックと肉が配布された。
キャプテンに配られたマクタックと肉は、さらにそれぞれのクルーへと分配された。

ポイントホープでクジラが捕れれば、小さいクジラであっても、何らかの理由で肉が全て回収できなくても、町中の人たちがマクタック、肉を得られるようになっている。


2014/01/01

新年のご挨拶とお知らせ

明けましておめでとうございます。

昨年後半から年末にかけて、何かとやることが多くなり、長いこと更新が滞っておりました。今年はなるべくネタを見付けて、更新するよう努力しますので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、2月から「海旅一座」という芸人の巡業が始まります。
「海から賜ったもの」というテーマのもと、今回の巡業では、長崎、佐世保に始まって、九州、中国地方を回ります。
私は時間の都合で、長崎、佐世保巡業にしか参加できませんが「海を喰らう」として、クジラの猟、捕ったクジラの食べ方などについて話をする予定です。
その道のプロフェッショナルによる、滅多に聞くことのできない、海旅の話を聞くことができると思います。

皆様のご参加をお待ちしております。



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■2014年 長崎~福岡~島根~山口の新春海旅芸人巡業
「海旅一座 長崎旗揚げ夜話会」
テーマ「海から賜ったもの」
話士

洲澤育範(皮舟大工) 「時を行く舟」
高沢進吾(エスキモー猟師見習い) 「海を喰らう」
鈴木克章(シーカヤック海洋冒険家) 「海気の向こう側」
石川仁(葦船海洋冒険家) 「草の船で海を舞う」

■日時 2014年2月1日(土)   開場 17:00 開演 17:30~20:00
■参加費 ¥1,500(飲み物付き) 小学生以下は無料
■場所「長崎シビックホール」 住所 長崎市常盤町1-1 メットライフアリコビル1F 電話 095-822-8161 アクセス 路面電車「市民病院駅」下車徒歩3分 駐車場 近くにコインパーキングあり
■担当・問合せ申込先  石川仁 090-9345-5372 
■講演内容
海旅のスペシャリストたちが、長崎の地より海の手紙をお渡しいたします。
○洲澤育範(皮舟大工) 

「時を行く舟」
 海から生まれた命は海へ還りたい、海を旅したい。われわれの血の奥底に眠る海洋ほ乳動物の記憶を呼び覚ます道具、それが革舟・カヤック、それが皮舟・バークカヌー。 http://elcoyote1990.com/
○高沢進吾(エスキモー猟師見習い) 

「海を喰らう」
アラスカ北極圏イヌピアック・エスキモーの町「ポイントホープ」に通い始めで20余年。クジラ猟に参加すること10数年。時代とともに変化し続ける文化と、今に続く伝統を吸収したいと今も通い続けている。

 http://homepage1.nifty.com/arctic/
○鈴木克章(シーカヤック海洋冒険家) 

「海気の向こう側」
手漕ぎ舟日本一周の海旅のお話。一人ぼっちで海を漕ぎ続けた25ヶ月間。 左足はどこまでも連続した野生へ。右足は現代日本社会へ。 軸なる私はその様な環境の中で、何を思い何を感じたのか。そして何を伝えたいのか。

 http://hirumanonagareboshi.hamazo.tv/
○石川仁(葦船海洋冒険家)
 
「草の船で海を舞う」
 人類が作り出した最初の乗り物とされる葦船(あしぶね)で海を渡る。まるでタイムマシンのように数千年前まで感覚が戻されていく海旅。そこにはむき出しの自然と戦い、そして抱き合うドラマがあった。 http://kamuna.net

2013/10/08

ネズミ

ポイントホープでは、8月も下旬を過ぎると、もうすっかり秋である。
その頃になると、川を遡るマス類の漁のために、内陸のククピァック川へ出かける人が増えてくる。
ククピァック川での漁は、秋から冬、氷が張り込めても行われている。

ククピァック川で捕れる主な魚のひとつに、グレイリング(カワヒメマス)がいる。
日本ではあまりなじみがないが、一部の管理釣り場(釣り堀)で釣ることが可能。また、一部の川や湖で「特定外来魚」として、厄介者扱いされている魚でもある。
背びれが非常に大きく、他のマス類とはすぐに区別が付く。マス類の中ではもっとも美しい魚と言われている(らしい)。
ポイントホープでは、主に凍らせたものをナイフでぶつ切りにしてから皮を剥ぎ、適当な大きさに切って、シールオイルを付けて食べる(コークと言う)。肉も美味だが、胃袋も貝のような歯ごたえがあって美味しい(他のマス類は胃袋を食べる人は少ないと思われる)。

今年もポイントホープにグレイリングの季節がやってきた。
フェイスブックに大漁のグレイリングの写真を載せているポイントホープの友人が何人もいた。
そのフェイスブックに上げられたいくつかの写真の中に、妙な写真が1枚。
ダンボールの上で腹部を開かれたグレイリングの横に、びしょ濡れの毛玉のようなものが二つ。なんだろう? と思ってコメントを読んでみると
「グレイリングの腹の中から、ネズミが2匹出て来た。こんなのは始めてだ」
と。
北海道のイトウなどは、かなり獰猛で陸上に住むネズミなどを食べると聞いたことはあるが、グレイリングがネズミを食べるとは聞いたことがない。

そんな矢先、ポイントホープの居候先の主、Hから電話がかかって来た。
「なあ、知ってるか? Jが捕ったグレイリングの腹からネズミが出て来たんだよ」
「ああ、知ってるよ。フェイスブックに写真が出てたよ」
「オレはもう、金輪際グレイリングは食わないからね」
Hは普段、魚を凍らせたも「コーク」はほとんど食べないのだが、唯一食べるのがグレイリングだった。

約2週間後、再びHからの電話。
「知ってるか? グレイリングの腹からネズミが出て来た話」
「うん、この間してくれたよね」
「父ちゃんがグレイリングくれるって言ったんだけど、オレは食わないからいらないって言ったんだよ」
「もう、そっちはかなり寒いんだろう? 川も凍ってるんじゃないの?」
「そうだね、そろそろ凍ってるかもしれないね。でも今日は暖かかったから、少し融けたかもしれないけど」
ちなみに、Hはみんなが魚をくれるので、わざわざ川まで魚を捕りに行くことはない。
「だとしたら、もう川辺にネズミはいないんじゃない? グレイリングの腹からネズミは出て来ないと思うよ」
「いや、もう食わない。絶対に食わない」

以前にも書いたが、彼はネズミが大嫌いである。怖いらしい。
ちなみに虫も嫌いであることも以前に書いた。
夏、レストランから買って来たハンバーガーの包みからハエが飛び出して来たことがあった。
「オレは二度とレストランのものは食わない」
と言っていたのに、2週間もしたら再びレストランのハンバーガーを食っていた。
なので、ほとぼりが冷めた頃には、再びグレイリングを食べているのではないかと思うのである。

2013/08/14

わたくしと「ば」

朝、目が覚めたらまず1本。ま、1本で終わることはなくて、平均すると3本くらいかな。
そうすると朝ごはんを抜いても苦にならないし、なかなかいいよ。

外から帰ってきたら、一休みしながら、とりあえず1本はいきたいね。
寝る前にも欠かさないよ。だって安心して寝られるからね。

猟から帰って来て、すぐの1本も最高だね。特に獲物が捕れたときなんて、言葉にならないよ。

1本やりながら、ソファに横になって見るテレビもいいよね。
え? 何を見るかって? ナショナルジオグラフィックチャンネルのドキュメンタリーは面白くて好きだよ。
でも、あの動物どうしが、様々な知恵と技を使って激闘するあの番組が一番すきだな。
え? 知らないの? 昔からやっているネコとネズミが激闘するあの番組を?
まぁ、いい。

ところで一本やる際、毛布が欠かせないことは君も知っているよね。あの毛布もなんでもいいわけではないんだよ。
何年も使い続けているお気に入りの一枚。時々洗濯されてしまって、お気に入りの香りが飛んでしまうことが難点と言えば難点かな。ま、すぐにもとにもどるけどね。
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以上、現在6歳のとある少年の証言を勝手にまとめて見た。
普通だと2歳くらいまでにはやめるであろう「哺乳瓶」を未だに愛用している彼。
それなりに恥ずかしいと感じているようで、一応友だちには内緒。
彼の家の冷蔵庫には、彼が3歳くらいのときの哺乳瓶をくわえている写真が張ってある。
友だちがその写真を見ている。
「昔、哺乳瓶を使ってた頃の写真だね」
と、彼は何事も無いように言ってのけた。
横で聞いていた我々は爆笑していたのは言うまでもない。

彼は起きるとパンツ一丁で自分のところまでやってくる。そして
「Shingo make me Bo!」
「Bo」は「bottle(哺乳瓶)」のこと。日本語風の発音だと「ば」。
エバミルクという濃縮ミルクを3倍ほどに薄めて作ってあげる。
「自分で作れよ」
と言うけれど、未だ誰かに作らせている。
そしてお気に入りの毛布で哺乳瓶を包み隠すようにして、トムとジェリーや、アラスカ関係の番組を見ながら、チュウチュウ吸っている。

ところで、ポイントホープに限らず、エスキモーの人たちの多くは、養子のやり取りは珍しいことではなく、子どもを育てたいと思ったら、何の躊躇もなく養子をもらう。
その結果、両親と全く顔つきが違う子どもたちがたくさんいる。結構年をとったカップルの間に、幼い子どもがいたりする。
そしてほとんどの子どもたちは、自分に産みの親がいることを知っている。
産みの親と育ての親が違うことによるイジメやドロドロしたドラマは全くない。

本編の主人公の場合も、育ての母親の兄夫婦から、生まれてすぐに養子としてもらわれて来た子どもである。
そのため、母乳を知らないが、彼の哺乳瓶好きと何か関係があるのかはわからない。

さて、その彼、ついでに言うと、未だ尻を自分で拭けない。
台所で調理していようが、ベッドでくつろいでいようが、バスルームから声がかかる。
「Shingo done!(シンゴ、終わった!)」
バスルームへ行くと、四つん這いで尻をこちらへ向けて待っている。
ぶつぶつ文句を言いながら、尻を拭いてやる。
「写真撮ってやろうか? で、ベッキーに見せてあげよう」
「やだ。絶対ダメ」

来年は、哺乳瓶作りも尻拭きも終了していることを望みたい。

2013/07/12

ウミァック

エスキモーの間で古くから使われている船にはカヤックとウミァック(ウミアック)というものがある。

※ウミアックを「ウミァック」と書いているのは、ポイントホープでは、「ウミァック」に近い発音をするから。日本人の耳には「ウマーック」 とも聞こえる。


カヤックは1人ないしは2〜3人乗りの小型の細長い舟。
ウミァックは8人程度からそれ以上が乗れる大型の舟。
どちらも木製の骨組みに海獣の皮を張って作られていたが、今では布やグラスファイバーを張る場合も多い。

カヤックは今や世界中でレクレーションに用いられるほど普及しているが、エスキモーの間では廃れつつある文化と考えても良いかもしれない(グリーンランドでは今も現役だが)。
ポイントホープでは、カヤックはそれほど重要視されていなかったようで、10数年前に当時60代だった人に話を聞いたところ、その人が子供の頃、既にぼろぼろになったフレームを見たことがある、というのを聞いたくらい。
この町ではカヤックよりも、公園のボート程度の大きさの小型のウミァックを作り、使用していた。ただし、これも廃れつつあり、今やフレームが残るのみで、使っている人はほとんどいない。

ウミァックは今も現役。かつては春から秋にかけて、水面がある期間はずっと使用していたが、今ではクジラの猟の時のみ使用している。
船尾より。フレームと皮の張り方等がわかる

かつて流木のみを組み合わせて作っていたウミァックも、今では市販の製材された木材のみを使う場合が多い。しかし船首部と船尾部の立ち上がり部分のみ、流木の中から適当な形のもの(根から幹にかけての曲がった部分を使う)を使用している人も多い。
 骨組みは金具やねじ、紐を併用して組み立てられているが、もちろん金属が普及する以前は、木に穿った臍(ほぞ)と、海獣の腱や皮で作った紐で固定されていた。

船体にはウグルック(アゴヒゲアザラシ)の皮を張る(セントローレンス島など、セイウチ
の皮を用いるところもある)。
6月に捕ったウグルックの皮は、丁寧に剥いで脂肪層も取り除いておく。ポイントホープではこのとき、前後の脚は切り取らず、皮に付けたままにしておく。
ビニール袋など、密閉できる袋に入れた皮を屋外の小屋や砂の中に8月頃まで埋めておくと、皮の表面が変質して毛が抜けやすくなる。
海で洗うなどして、毛をすべて除去した皮は、そのまま乾かして2月下旬から3月上旬にかけて、ウミァックに張るまで保存しておく。

ちなみに残った前後の脚は、非常に臭いが一部のお年寄りが好んで食べるそうだ。

ウミアックの上で昼寝中
皮を張る際に使うロープもウグルックの皮を使う(ナイロンロープを使っている人も多い)。
ロープを作る際にはポイントホープで「アレギラック」と呼ぶ、未成熟の小型のウグルックの皮を用いる。この方が皮が薄くてロープに適しているとのこと。
ロープを作るためのアレギラックの解体方法は、胴体の中央付近から、服とパンツを脱がせるように皮を剥ぎ、その切り口の部分から、螺旋状にロープを切り出して行く。

干して保存しておいたウグルックの皮は、しばらく水に浸けて戻して柔らかくした後、7枚ほどの皮を数名の女性たちが1日で縫い合わせる。かつてはカリブーやベルーガの腱(シーニュー)を使ったが、今では麻や皮革用の糸を用いる。
縫い目が表面に出ないような特殊な縫い方をするため、縫い目から水が漏れることはない。

縫い合わせた皮は、フレームの滑りを良くするためにクジラの脂を塗り、フレームに張って行く。
張り上がったウミアックをしばらく天日にさらしておくことで、漂白され、白い船体となる。
濡れた状態で置いておくと、あっという間に船体は薄汚れてしまう。

クジラ祭りにて。右側2艘は皮を剥がれてしまっている。
左から2艘目はベニア板にグラスファイバー張り
6月中旬、クジラが捕れたことを祝うクジラ祭り「カグロック」が3日間に渡って執り行われる。
祭りはウミアックを中心に行われ、夜間はウミアックを運ぶソリのを横にした状態で立て、祭壇のようにしてウミアックを置いておく(詳細はいずれ「カグロック」について書くのでその際に)。

クジラを始めて捕ったキャプテンのウミァックは、クジラ祭りの2日目(あるいは最終日)に、皮をお年寄りの女性たちに切って分け与えてしまう。
この皮は、固くて丈夫なので、マクラック(ブーツ)の底に使ったり、ナイフの鞘を作ったり、色々と使い道がある。

カグロックが終わると、クジラの猟も終了。
イキガック上のウミアック
船首は北。太陽も北
ウミァックの皮を外し、折り畳んだ皮は、物置へ。状態が良ければ翌年また使用するし、場合によっては、ナルカタック(ブランケットトス、人力トランポリン)用に使われる。
骨組みだけになったウミァックは「イキガック」という木で作った棚へ載せておく。
そのとき、船首は必ず北へ向けておく。何故か分からないそうだが、昔からそうやっているとのこと。

猟になかなか出られず、あまりにヒマだったので、海岸で拾って来た木片と物置に転がっていた材木の切れ端を使って、ウミァックの模型を作ってみた。
ヒマに任せて模型を作ってみた
本当はすべての材料を海岸で拾って来たかったのだが、次第に面倒くさくなり、物置の材木で代用。
電動工具を引っ張り出すのが面倒くさくて、斧とナイフで木を縦に割って細い材をつくり、本当はすべて糸で縛って組みたかったが、面倒くさくなり接着剤を多用。
ヒマと面倒臭さの賜物である。
肋材の本数が少なかったりするが、基本的には実物と一緒。

天候が悪くヒマな日々が続いたので、皮を張ってみた。
材料は先日作ったウグルック(アゴヒゲアザラシ)のイガローック(腸)の皮。
家主からはイナローック(脱毛して漂白したアザラシの皮)を使った方が本物に近い、と
イキガック(舟を載せる棚)も
本物風に作り、上に載せてみた
言われたものの、皮自体が厚いので、外から船体構造が分かりにくくなりそう。フレームがその厚い皮の張力に耐えられなさそうでもある。
イガローックを張った方が、何となく古めかしい感じがしてよさそうだ、とのことでチクチクとイガローックを縫った。
乾いたまま縫うと針穴から裂けて来るので、水で濡らしてから縫う。
それなりの縫い方があるはずなのだが、よくわからないので適当。結果、所々隙間が見える。

クジラに撃ち込むための銛のロープには「アヴァタクパック」と呼ばれるブイ(浮き)がついている。昔は、アザラシの皮を服を脱がすように剥いで、風船のように空気を入れて膨らませたものを使っていた。
いろいろ考えた結果、この模型のウミァックに合う大きさのアヴァタクパックを作るのに、ちょうど良い大きさの生き物に思い当たった。

「アヴァタクパック作ろうと思うんだけど」
「アザラシの皮の切れ端でも使う?」
「いや、ネズミ」
「え?」
「ちょうどいい大きさじゃん」
「いい考えだと思うけど、誰が捕まえるんだ? オレはイヤだよ」

家主はネズミが恐いと言っていた。見るのも怖いらしい。ウグルックなどは平気で捕るのに。
アヴァタクパックなどを作り出したら、パドルやら銛やら色々作らなくてはならないので、とりあえず却下。

2013/07/10

野生の肉

エスキモーは生肉ばかり食べていると思っている人がいるかもしれないが、ポイントホープの場合、生肉はほとんど食べない(昔は食べたのかもしれないが)。
それなりに加工したもの、すなわち凍らせたもの、乾燥させたもの、あるいは熟成させたものを食べることが多い。

地域によって食べる動物の種類がことなり、あちらの町では普通の食べ物も、こちらの町では食べることの無い物だったり、アラスカの中でも地域差は大きい。

例えば...
セントローレンス島という、ベーリング海に浮かぶ島へ行った人。
「コーク(凍った肉)を出されたんで食べたんだよ。あとからセイウチの肉だって聞いて、気持ち悪くなっちゃって...」
ポイントホープでは、セイウチの肉は必ず茹でて食べるので、こういうことになる。

アンカレジで、ポイントホープ以外のどこか遠くの町から来たエスキモーの人たちの食事に招かれ、ポイントホープでは食べることの無い種類のアザラシの料理を出された人。
「そのアザラシ食べたの? どんな味だった?」
「そんなわけのわからないもの、食べるわけないじゃない」
違う種類のアザラシは「わけのわからないもの」になってしまう。
日本人から見れば、アザラシなんてどれも一緒だろう、と思うのだが、かなり違うものらしい。
ちなみにアゴヒゲアザラシとゴマフアザラシでは、味も肉質も全く違うので、やはり種類によって味は違うのだろう。

ポイントホープの人たちが、内陸の町の親戚の家に出かけた。
ある日、親戚一家は出かけてしまい誰もいない。腹が減って来たものの、冷蔵庫に肉があるのみ。
「この肉、なんだろう? アザラシのようだね」
「じゃスープにでもしようか」
ということでスープを作って食べていると、親戚一家が 帰って来る。
一緒にスープを食べる。
「ポイントホープでも、この肉を食べるんかね?」
「もちろん。海で捕って来て食べてるよ。おいしいよね、この肉」
「ほう、ポイントホープじゃ、これ、海にいるんだ」
「え? アザラシじゃないの?」
「これ、ビーバーだよ」
「・・・」
そう、内陸なので、アザラシはいない。
散々食べたあと、ビーバーと知らされて、しばし呆然としていたらしい。

ポイントホープの人たち、食べ慣れないもの、変わった物はあまり食べたがらない割に、日本から持って来た、スルメや煮干しは大好物だったりするので、食べる食べないの基準がどこにあるのか、未だ謎である。





2013/06/29

カッパのもと

ウグルック(アゴヒゲアザラシ)を解体すると、でろでろと長い腸、イガロックが出て来る。
その腸を切ると、うねうねと平らで細長い黄色っぽい寄生虫が大量に出て来る。勝手にサナダムシのサニーと名付けているが、実際にサナダムシの仲間なのかはよくわからない。
血液中からも大量の白くて細長い寄生虫が出て来る。これはアニサキスの仲間だと、某機関の専門家に同定してもらったことがある。なのでこちらはアニサキスのアニーと呼んでいる。

さて。その腸(主に小腸部分)。
そんなに大量に食べないので、ほとんど捨ててしまう。
食べる場合、ぶつ切りにして茹でる方法が一般的。
腸の外壁を、脂肪層の上(まな板代わり)で細かく刻んだ「カーク」は、ちょっと臭い、こりこりとした歯触りの食べ物。「エスキモーのサワークラウト」と呼ぶことがある。歯触りがサワークラウトに似ていないことも無い。

そんな腸なので、好きなだけ貰って来て、好きなように加工が出来る。
解体現場では、腸を適当な長さに切って、適当な大きさの小石を一粒腸に入れて、中身(消化中の食べ物と寄生虫)を、小石とともにしごき出す。
水に浸けたまま冷所に置いておけば、すぐに作業しなくても大丈夫。万一食べたくなったら、ぶつ切りにして、よく洗ってから茹でれば良い。

空気を入れて乾燥中
手に匂いが付くとなかなか取れないので、ゴム手袋をはめ、腸の外壁を削りとるように、スプーンで剥がしていく。こうすると外側の血管なども奇麗に取れていく。
外壁が終わったら、腸を裏返す。長いと裏返すのは大変なので、適当な長さに切っておく。
外壁同様、内壁もスプーンでこそげ落とすが、外壁ほど大量の付着物は無いので、外壁ほど時間はかからない。
内壁、外壁ともに奇麗にしたら、奇麗な水でよく荒い、腸の片方の端を紐で縛る。
そして反対側からおもむろに息を吹き
込んで、糸で縛ると、細長い風船の出来上がり。
よく洗ってもやっぱり臭いので、実は空気入れを使って膨らませているのだが。

数日天日に干せば、からからに乾いた、油紙製の風船のような物が出来上がる。
一度乾かしてしまうと、結構丈夫で、手でくしゃくしゃにしても、紙のように破れることはない。
昔はこれを切り開いて、縫い合わせ、 雨具を作っていたそうだ。何しろ腸なので、防水性は高い。

太鼓の模型と汚い手袋
今はカッパを作る必要も無いので、エ
スキモー唯一の楽器である太鼓の模型を作ったり、子供がファッションショー(様々な行事のときにエスキモーの衣装のコンテストが催される)に出るための衣装を作ったり。

何度か太鼓の模型を作ったことがある。 一部を除いて、行方不明になってしまったので、また作ろう。
余ったら何か小物入れでも作るか(臭いけど)。