2012/12/19

薬を…

まだ家主Hが結婚する前のこと。
当時Hは両親と一緒に住んでいたので、自分がポイントホープに滞在するときは、Hの部屋の隅にマットを敷くか、Hの妹のベッドを占拠して寝泊まりしていた。
Hの部屋で寝ていると、夜中にHが彼女を連れ込んでみたり、多少不便はあったけれど、お互いにそれほど気にせずに過ごしていた(と思う)。

6月下旬、クジラの猟は無事終了し、ウグルック猟も一段落。ポイントホープ滞在も2ヶ月近く。そろそろコツビュー へ向けて出発する時期。

 その日はポイントホープ滞在最終日。午後の飛行機でコツビューへ向かう予定だったので、いつも通り朝寝坊。
起き抜けのぼんやりとした頭のままトイレに腰掛けて用を足しつつ、感慨に耽りつつ、何気なく足下を見ると爪先が変色している。
あ、大変だ。

トイレから出て、台所で家事をしているHの母親Eのところへ行く。
「母ちゃん、大変だよ、病気になっちゃったよ」
自分にとってEは母親のような存在なので、時々「母ちゃん」と呼んでいる。ちなみにHは自分にとって弟の様な存在。

「え、どうしたの? 大丈夫?」
とても不安そうな顔でこちらを振り返るE。
「すぐに薬が必要だよ」
「どんな状態なの? 何の薬がいるの?」
Eは不安のあまり、眉間にしわを寄せて、曇ったような顔をしている。
「見てよ、ほら爪先が」
と言いながら爪先を見せる。
その瞬間、大爆笑を始めるE。涙を流しながら笑い続ける。
「く、くすりなら、た、たぶん、バスルームの棚にあるわよ」
笑いながら、ようやくそう答えるE。
「それがもう無いんだよね」
自分も絶えきれず、一緒に笑い出す。

寝ている間に、足の爪すべてに金色のペティキュアを塗られていた。
3分ほど笑い続けていたろうか。

「あんた、またやられたの?」
「そうらしい。全然気がつかなかったよ」

以前にも寝ている間にHにペティキュアを塗られたことがあった。最初は紫色だった。
Hは学校を卒業後、しばらく定職に着いていなかったため、 深夜まで友だちと遊び、明け方近くに帰宅して昼過ぎまで寝ている、そんな生活をしていた。
Hは帰宅後、人が爆睡しているのをいいことに、ペティキュアを塗ってくれたらしい(ペティキュアはHの小学生の妹のもの)。
いつか仕返しをしようと考えてはいたが、Hがいつ寝たのかもわからず、いつ起き出すかもわからないので、なかなか仕返しできない。
一度、爆睡しているHの足の爪すべてに油性のペンでスマイルマークを描いたことがあったが、Hにとっては大したダメージにならなかったようだった。

「ちょっと薬買ってくるね」
と金色の爪先のまま、店に行くが、そういうときに限ってマニキュアリムーバーは置いていない。
金色の爪先のままコツビューまで行くことになるが、靴も靴下も履いているので、誰かに見られることはない。
コツビューの友人宅にきっとリムーバーはあるだろう。
コツビューの友人にも大爆笑されそうだが、ま、それはそれ。面白いからよかろう。

しばしの別れでしんみりするところだったのが、この年に限っては、大笑いをしながらの別れとなったのだった。

※コツビュー(Kotzebue)
アンカレジからジェット機が就航している、北極圏にある比較的大きなエスキモーの町。ポイントホープへ行くためには、この町で小型機に乗り換えることになる。
自分にとって、始めてツアー以外で訪れたエスキモーの町がコツビューなので、それなりに思い出深い町。今ではこの町にも友人もいるので、寄らずに帰ると怒られてしまう。

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