2012/12/23

ヘンリーとエマ

昔、まだ夏休みにポイントホープに通っていた頃。
海岸を歩いているとき、孫をホンダに乗せて海岸を走っていたヘンリーと出会った。
「この間、クジラのビデオを撮ったから家まで見に来ないか?」そんなことを言われたのではないかと思う。

ヘンリーの家。大きな窓が並んだリビングルーム。窓から明るい日射しが差し込んでいる。
ソファに座ってヘンリーと話をしていると(当時の英語力だと、ヘンリーの話を一方的に聞いているに等しい)、奥さんのエマがお茶を出してくれた。
太い眉に温和だが鋭い目、小柄で無駄な肉はついていないヘンリーと、大柄で無駄な肉がたくさんついている、大きな声で良く笑う、もじゃもじゃ頭のエマ。
ヘンリーは何年もクジラ猟のキャプテンを続けている。かつては学校で働いていたが、 今は仕事から引退して悠々自適の生活。好きなときに猟に出られる今の生活に満足しているという。

家には何人もの孫が出入りしていて、常ににぎやかだ。 時々、ヘンリーの兄弟や子供たちも顔を出す。
その孫の中に、現在の居候先の主人Hの奥さんとなるEもいたはずなのだが、ほとんど記憶にない。
余談だが、今のEは、見事にエマの血を引き継いでいて、無駄な肉がたっぷり付いている。

毎年、夏の間の短期滞在のたびに顔を出し、その都度ウグルックやセイウチ、カリブーなど、エスキモーの食べ物(ニカパック)をご馳走になった。
時々、ヘンリーと彼の友人がエスキモー語で会話するのを聞くことも楽しみの一つだった。
何を言っているのかまったくわからないが、あまり抑揚がなく、独特の発音のあるエスキモー語の会話を聞いているのは、なぜか心地良かった。

ある時、ヘンリーの家の近所を歩いていると、玄関先に立っていたエマが大声で叫んでいる。
「シンゴー、ヘンリーは中にいるよー!」
寄るつもりはなかったが、せっかく声をかけられたので寄っていくことに。
お茶と食べ物をご馳走になり、写真を見せてもらったり、他愛もない話しをしたり。
エマが嬉しそうにベッドルームから何かを持ってきた。
「ほら、これ、あんたにもらった日本のバッグ、大事にしてるんだよ」
前年、成田空港へ向かう途中の、上野駅前の外国人向けのお土産屋で買った、和柄のバッグだった。一度も使っていないようで、シワひとつ付いていない。
以前ヘンリーにあげた肥後の守(ナイフ)は、彼のポケットに入っていて、干し肉を切って食べる時などに使っているらしい。
贈ったものを大事にしていてくれるのは、本当に嬉しい。

ある年、ヘンリーの家に行くとエマの姿はなかった。
病気でアンカレジの病院に入院しているが、明日帰ってくるそうだ。
何の病気かと聞くと、胃ガンだという。胃の一部を手術で摘出したとのこと。
何となく暗い気持ちのまま迎えた翌日。ヘンリーの家に行ったが、まだエマは帰って来ていなかった。
出直そうと思っていると、玄関からどたどたと大きな音と、大きな声が聞こえて来た。
何か言いながら家に飛び込んで来たのは、エマだった。
家に入るなり、挨拶もそこそこに、テーブルの上に置いてあった茹でたセイウチの肉を食べ始めた。
「やっぱりエスキモーフードはおいしいね、病院のご飯はおいしくなくていけないわ」
そう言いながら、がつがつと食べているエマ。本当に胃ガンで胃を切ったんだろうか。そんな疑問が浮くほどの食べっぷりだった。
一段落して自分の存在に気がついたエマ。
「あら、シンゴじゃない、今年も来たのね。久し振り」
この食べっぷりだったら、もうガンは完治したに違いない、そう思った。

翌年、再びエマの姿は家に無かった。
アンカレジの病院に入院しているとのこと。
病院の場所を聞き、日本へ帰る前に寄ってみることにした。
病院へ行き、受付で彼女の名前を告げるが、そんな人は入院していないと言う。科を間違えたかと思い、別の科でも調べてもらったが、エマはいなかった。

帰ろうかと思い病院内を歩いていると、後ろから
「コツビューから来たの?」
と声をかけられた。
そのとき来ていたジャケットは、コツビューの飛行機会社で買った、会社名と地名の入ったジャケットだった。
その人は、身内の付き添いのためにコツビューから来ているとのこと。もしかしてと思い、エマのことを聞いてみた。
「彼女だったら、昨日、ポイントホープに帰ったわよ」
残念ながら、エマには入れ違いで会えなかった。でも、退院したのなら、快復したはずで、きっと来年には会えるだろう。
そのときはそう思っていた。

エマが亡くなったのは、それから間もなくだった。

ポイントホープに長期滞在するようになった2000年以降も、ヘンリーはクジラ猟のキャプテンを続けていた。
ヘンリーのキャンプのすぐ隣に我々のキャンプを設置したことがあった。
悠然とそりに腰掛けてクジラを待っているヘンリーの姿は、月日を重ねて来た者が持つ風格があり、ほれぼれするほど格好良かった。

ある年、大きなクジラを捕らえた。それがきっかけになったのか彼は引退を決意し、息子にキャプテンの座を譲った。
引退後も、息子たちにアドバイスを与えながらクジラの猟には関わり続けていた。

「シンゴ、ヘンリーはガンだそうだ。手術して腕が動かせなくなってる」
その年の5月、ポイントホープへ行き、まず聞かされたのはそんな話だった。
「ウソだ」そう思った。
前年、ポイントホープ最後の日、飛行場まで見送りに来てくれたヘンリーは、どこも悪い場所はなさそうで、とても元気そうだった。

ヘンリーの家へ行くと、ヘンリーは片腕が完全に動かせなくなり、心なしかやつれたような感じだった。
病気の人にこう聞くのもなんだと思いながら
「元気?」
と聞いた。
「ちょっと調子が悪いけど、まあ大丈夫だよ」
孫に命じてお茶を用意させ、自分もお茶を飲みながら、片手で小さく切ってもらった肉を食べている。
「昔、日本人が調査か何かでポイントホープに来たことがあってね、炊飯器を貰ったことがあるんだよ」
「日本の食べ物って食べたことある?」
「アンカレジのレストランで食べたことあるよ」

あまり突っ込んだことは聞きたくなかったが、体調について聞いてみた。
「腕、どんな感じ?」
「動かないんだよ。医者はガンじゃないって言ってるから、きっと大丈夫だろう」
「そっか。医者が大丈夫って言ってるんだから大丈夫だね」

ポイントホープを去る前の日、ヘンリーの家に行った。
ヘンリーは、自分がポイントホープに来た2ヶ月前より明らかに衰えている。
「ヘンリー、来年またポイントホープに来るから、そのときは猟に連れて行ってくれる?」
「ああ、いいよ」
「そうだ、そしたらお礼に日本の料理を作ってあげるよ」
「おお、それはいいな。楽しみにしてるよ」
「一緒に猟に行くの楽しみにしてるから、元気になってよね」

ヘンリーの家を出ると、急に悲しくなって来た。
なんで自分は、絶対にできない約束をしているんだろう。
涙が出そうになるのを必死にこらえながら、家に戻った。

翌年、自分はヘンリーとエマの墓の前に立っていた。
「ヘンリー、エマ、今年も帰って来たよ」
それだけ言ってしばらく佇んでいた。

「シンゴ、こんなナイフが親父の工具箱から出て来たんだけど、覚えてるか?」
あるとき、ヘンリーの息子、Jの家に遊びに行ったとき、Jがナイフを見せてくれた。
それは昔、ヘンリーにプレゼントした肥後の守だった。
何度も研いだ形跡があり、所々刃こぼれしている。ずっと使ってくれていたのだろう。
「刃こぼれしてるし、切れなくなってるな」
「日本のナイフはちょっと研ぐと、ものすごく良く切れるようになるよ」
「高いんだろう? これ」
ヘンリーとエマ(ヘンリーに貰った写真)
「安いナイフだよ。中学生のとき、毎日同じナイフ使ってたんだ。Jも研ぎ直して使うといいよ」

今も雪が溶けて雪に埋もれた墓標が現れる頃になると、必ずヘンリーとエマの墓へ向かう。
「帰って来たよ」
と言いに。

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