ポイントホープでは、毎年、10組程度のクジラ組が出猟している。ひとつの組は、10名ほどの実働部隊(実際に猟を行う男性)と、食事や衣服の準備、ウミァックの皮を縫うための裏方(配偶者や親戚の女性)たちで、20名ほどの大所帯となる。
さらにキャンプや町での雑用係兼見習いとして、10歳前後の少年が数名。
彼らは「ボイヤー(boyer)」と呼ばれ、他のクジラ組から手伝いに来ている子供の場合も多い。
近年、ちょっと天候が悪化するとすぐに家に戻るようになってしまったが、10年ほど前までは海岸のテントで荒天待機をしたり、夜を過ごすクジラ組が多かった。
テントは分厚いキャンバス地の家型の大型のもので、10人ほどの人間が眠ることができる。
テント内にはドラム缶を切って作ったストーブがあり、夏に集めた流木、アザラシやクジラの脂肪(スィクパン)を燃料に、人が中にいる間は、常に火が燃えている。このストーブのおかげで、寒い日でも快適に眠ることができる。
夜の間、火の番をするのはボイヤーたちで、夜通し交代で薪やスィクパンをくべ続ける。
我々のクジラ組は、通称「78」。名前由来は、無線のコールサインから。そして我々のボイヤーのひとりBは、オクタリック(名前は名字由来)の組から来ていた。
ある日の早朝、キャプテンがあまりの寒さに目を覚ますと、ストーブの火が消え、傍では、Bと数名のボイヤーが爆睡していた。
キャプテンはストーブに火を起こし直すと、Bの履いていたブーツの紐を隣のボイヤーのブーツの紐に結び、さらにその隣のボイヤーのブーツの紐へと、ボイヤーの足を数珠つなぎにした。
そして火の番をしながら、水を火にかけ、コーヒーを沸かし始めた。
コーヒーの香りに誘われるかのように、他のクルーたちが起き始め、キャプテンが指さすボイヤーの足元を見て、笑いをこらえている。
クルーたちが全員起きても、Bたちはイビキをかいて寝ている。
「おい、B起きろ、出発するぞ!」
大きな声で、Bを揺り起こすキャプテン。もちろん、出発するつもりは全くない。
もそもそと動き、眠そうに目を開くB。
「クジラが来たから、すぐに出るぞ!」
慌てて立ち上がり、歩き出そうとするB。
するとよろめいて仲間のボイヤーのほうへと、転がる。
クルーたちは笑いをこらえきれずに大爆笑をしているが、Bには、今だに何が起こってているのかわかっていない。
他のボイヤーも起き出して、Bとともにうめき声を上げながら、もだえている。
ようやく、自分たちのブーツが結び合わされていることに気がつき、紐をほどき始めた。
「昨日の夜は寒かったなぁ」
キャプテンが大笑いしながら言う。
ボイヤーたちはバツの悪そうな顔をしながら、紐をほどき続けていた。
数日後、やはり寒い夜だった。その日もBたちがストーブの番をしている。
大方の男たちは床に敷き詰めたカリブーの毛皮の上に自分の寝床を確保し、横になって世間話をしている。
当時、まだ見習いもいいところで、ボイヤーとあまり変わらない身分の自分は、果たして寝てもいいものかと、ストーブ傍で男たちの様子を見ていた。
「シンゴ、父ちゃんの横で寝るか?」
キャプテンが自分の横に隙間を作り、指さす。
男たちは大笑いしている。
「うん、そうするよ、父ちゃん」
そう答えると、さらに笑い声が大きくなる。ボイヤーたちまでも笑っている。
父ちゃん、すなわちキャプテンのイビキに悩まされつつも、眠りについた。
と、思ったのも束の間、あまりの暑さに目を覚ます。キャプテンも汗だくになって目を覚ましている。
ふと見れば、しきりにスィクパンをくべるBの姿と、真赤になって薄闇に浮かび上がるストーブ。
「B、ちょっとやり過ぎだよ、そんなに大量にスィクパン入れなくていいから」
スィクパン、すなわち脂肪だけでは燃えにくいが、勢いよく燃えているストーブにスィクパンを投入すると、薪とともに液体の油が燃えることになり、非常に高温になる。
「なんだかサウナに入ってる気分だよ」
「本当、そうだな」
再び横になる。
要領を得たBの、適量の薪とスィクパンで、朝まで快適に眠ることができるかと、思いきや、父ちゃんのイビキで時々目を覚ましつつの睡眠となった。
数年後、Bは我々78を離れ、オクタリックのクルーとして働き始めたが、クジラ猟の合間など、しばらくは彼と一緒に、ガンやカモを撃ちに行ったりしていた。
あるとき、彼ひとりでスノーマシン(スノーモービル)で、猟に出かけたところ、スノーマシンが壊れ、身動きがとれなくなってしまった。どうしようもなくなった彼は、近くに雪のない草地が露出している場所を見つけ、そこで横になっているうちに眠ってしまった。
他の男が、ツンドラに転がっている人間らしきものを見つけた。スノーマシンで近寄って行っても、ピクリとも動かない。男は死体を見つけてしまったと思いながら、恐る恐る近づくと、それはBで、どうやら呼吸はしているらしい。
「おい、B」
声を掛けると、ようやく目を覚まし、事の成り行きを語り始めたそうだ。
それからさらに数年、ある頃から町でBの姿を全く見なくなってしまった。噂では刑務所に入っているとのこと。
何をしたのか知らないが、刑期は数年になるらしい。
陽気で素直な少年だったBが、どこで、どう間違ってしまったのだろう。
子どもの頃から知っているだけに、何か寂しさを感じてしまうのだった。
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