2012/11/17

エスキモーと戦争

何の本か忘れてしまったが、昔「エスキモーは他民族と戦争をしたことが無い、平和を好む民族です』という文章を読んだ記憶がある。
確かにいつも冗談を言って笑顔を絶やさないので、平和な民族と思われても無理は無い。
実際はそんなことは無く、それなりに抗争もあったようで、セイウチの牙を薄く切って作った「鎧(よろい)」が残っていたり、インディアンとの抗争があったという言い伝えもある。
昔話(民話、伝説)を読んでいても、突然、何の脈絡も無く人を殺しに行こうとしてみたり、どう考えても平和を好んでいるようには見えない。
現代では、 酒を飲むと際限なく飲んでしまい、酔っぱらって大喧嘩をするのもざらである(ポイントホープでは、酒は飲むのも持ち込むのも違法)。しまいには銃を持ち出して、殺すの死ぬのの騒ぎになり、たびたび刑務所の世話になっている人もいる。

さて。
1970年代のベトナム戦争終了以降、徴兵されることは無いが、アメリカ合衆国には徴兵制がある。そのため、エスキモーでも第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等の戦争に行ったことのある人がそれなりにいる。
友人宅の壁に大きく引き延ばした古い白黒写真がある。銃剣付きの銃を持った若い歩兵が緊張の面持ちで、こちらを見つめている。これは太平洋戦争中に撮られた、戦地での友人の父親の写真だそう。
70歳代の友人は、朝鮮戦争で朝鮮半島に行ったことがあるそうで、彼の地では食べ物がうまかったと言っていた。朝鮮戦争は、彼にとっても古い記憶で、あまり多くは語ってもらえなかった。

あるとき、友人のPと話しをしていると、彼は日本に行ったことがあるという。どこへ行ったのかと尋ねると「沖縄」との答え。
エスキモーにとって沖縄は暑かっただろうな、などと思いながら質問をすると、沖縄のあと、もっと暑いところへ行ったと。ベトナムへ行く途中に沖縄に立ち寄ったとのこと。
Pはベトナム戦争に行っていたのだった。
「徴兵されて、陸軍の施設に行ってね、上官に、お前は自動車の運転ができるか? って聞かれたんだ。車の運転なんかしたことないから、できません、って答えた」
「で、上官が、オートバイの運転はできるか? って聞くんだよ。もちろんそんなことできないから、できません、って答えた」
「今度は上官が、じゃあ自転車には乗れるか? って聞くから、それもできないって答えた」
1960〜70年代のポイントホープは、まだ自動車はそれほど普及していない。車があったとしても一部の人しか乗れない特殊なものだった。
「お前は何か操作できる乗り物はあるのか? って聞くから、犬ぞりならできる、って答えたんだ」
「ベトナムに雪は無いよねえ」
「そうなんだよね、暑いし」

呑気に徴兵のときの話をしているPだが、実際の戦場では、目の前で爆弾が炸裂し、重傷を負ったそうで、そのときの爆弾の破片が今も体内に残っているとのこと。
P自身は多くを語らないが、他の人の話だと、ベトナムから帰って来たばかりのPは、酒やドラッグに溺れ、手をつけられないくらいに乱れていたとのこと。かなり壮絶な体験をして来たのだろう。
そんなPだが、今ではポイントホープの歴史を調べ、その様子を絵に描いたり、あちこち歩き回り、古い石器を探したり(古いと言っても数百年前のもの)、ポイントホープの過去の文化を独自に調べたり、親戚の子供の子守りをしたりしてのんびりと過ごしている。

Pについての余談。
普段、温厚で人に指図したりすることのないPだが、あるとき日本からテレビ局が取材にやって来て、Pをガイドとして雇った。するとPはディレクターに対し、煙草を買って来いとか、飲み物を買って来いとか、険しい顔で指図している。
普段、Pのそんな姿を一度も見たことが無いので、日本人のテレビ取材班に背を向けて笑ってしまった。
後日、日本でテレビを見ていると、そのときとは別のテレビ局の番組で、レポーターの若い日本人女性を案内しているPの姿があった。どこかデレッとしていて、これまた普段見かけないPだった。

友人数名が、州兵として軍務についていた数十年前のこと。
本土(アラスカではないどこか)の空港ロビーで軍服を着たまま飛行機を待っていた。
すると女性が一人近づいて来て、花を差し出しながら、その中の一人に声をかけた。
「ミスターO、恵まれない人のために、この花を買っていただけませんか?」
「え、あ、はい」
ミスターOは、見ず知らずの女性にいきなり自分の名前を呼ばれたため、びっくりして、つい、その花を買ってしまったそうだ。
「今の女性、なんでオレの名前知ってたんだ? オレはあの人に一度も会ったこと無いぞ」
一緒にいたほかの男たちは大笑いしながら、彼の胸元を指差す。軍服の胸元には名札が付いている。
「じゃ、なんでオレに声をかけて来たんだよ」
「そりゃ、お前の名前が一番読みやすかったからだろう」
エスキモーの人たちの名字は、英語風のものもあるが、先祖から受け継いだ、非常に読みにくいものも多い。
例えばそのとき一緒にいた「Kinneebeauk」。これは「n」と「e」がたくさんあって、どう読んでいいのかわかりにくいが、これで「キニヴァック」と読む。
花を売りつけられたミスターOは「Oviok」で、そのまま「オヴィオック」と読める。
二人並んでいれば、オヴィオックのほうに声をかけるだろう。

友人宅で片付けを手伝っているとき、小さな箱の中に友人の古いドッグタグ(軍の認識票)を見つけたことがある。
町を歩いていると「Veteran」と刺繍の入った帽子をかぶっている人を見かけることがある。退役軍人であることを誇りにしている帽子だ。前述のPも時々かぶっている。
ポイントホープもアメリカであり、軍隊も戦争も、日本より身近にあるように感じる。有事の際、場合によってはここの若者たちも徴兵されることもあるのかもしれない、そんなことを考えてしまう。

「オレ、軍隊に入ろうかな」
「何やるんだよ、狙撃兵か?」
「そうだね、オレたちエスキモーは鉄砲撃つのうまいから、狙撃兵に向いているかもね」
「でもさ、人を殺さなくちゃいけないんだぜ」
「そうだよなぁ、それは嫌だなぁ...」
始めから軍隊になんて入る気の無いHだった。

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