ウグルックの解体(ピーラック)は、女性の仕事。皮を捕鯨用のボート(ウミァック)に使用するため、穴を空けず、皮に余分な皮下脂肪を残さないような女性の丁寧な仕事が必要なのである。
町の南側の海岸で「リオのキャンプ」と呼んでいる場所が、我々のいつもウグルックの解体場所だ。
自分はビニールシートで風よけ(コータック)を作り、すぐに作業が始められるよう準備をしたあと、一度家に戻る。入れ替わりにEがトラックで出かけて行った。
その日のピーラックは、EとPの二人。どちらも今までの解体頭数は少なく、手慣れた人たちに教えてもらいながら作業をしていたが、その日は皆忙しく、解体するのは二人だけだった。
そろそろ手伝いが必要かと、30分ほどして海岸に戻ると、いつもと違う雰囲気で解体が進んでいた。
「何かいつもと違うよね」
「やっぱりわかった?」とE。
正中線に沿って、切っていくのはいつも通りなのだが、どうやら切れ目を深く入れ過ぎたようで、本来は少ししか出ていないはずの腸が、だらしなく腹部からはみ出している。
「これじゃ皮を剥ぐの大変だよねえ」
ウル(扇形のナイフ)で皮を剥ぐために皮の端に手を添えようにも、腸が邪魔である。無理をしてウルを動かせば、腸を切ってしまい、中から寄生虫が大量に出てくること請け合いである。
これが正しい方法(ほぼ皮が剥がれている) |
このリオのキャンプ、名前の通りキャンプをしたり、猟の準備をしたりするため、色々なものが落ちている。要するにゴミなのだが。
付近を歩いていると、早速素敵なゴミを見つけた。
「今からオレのことを外科医と呼ぶように、これから手術するから」
と言いながら、拾って来た丈夫な細いロープを見せる。
二人はウグルックの傍らを離れ、コータックの陰に座って、コーラを飲みながら一休み。
ウグルックの5cm程の皮下脂肪に穴をいくつか開けて、拾って来たロープを通し、開いた腹部を縫い閉じていく。
腸がすべて腹腔内に戻るわけでもないが、皮を剥ぐには支障がない程度にまではなった。
作業再開。
時々、切れ味の落ちたウルをヤスリで研いであげながら、とどまることのない、どうでも良さそうな話に耳を傾けつつ(いわゆる井戸端会議である)、井戸端会議は日本と一緒だな、と思いつつ、コーラを飲みながら、氷の浮いた海をぼんやり眺めている。
ホンダに乗ってAばあちゃんが様子を見に来た。女性たちがこっそりとビッグボスと呼んでいる人だ。
「いい大きさのウグルックね、誰が撃ったの?」
当たり障りの無い話をしつつ、時々、ウルの使い方をアドバイスをしたりしたのち、Aばあちゃんは家へ帰って行った。
「はみ出た腸のこと、何も言わなかったね」
「でも、ものすごくじっくりと腹のところ見てたよ」
「そうだよねえ。ちょっとびびっちゃった」
EもPも、Aばあちゃんがいる間、何事も無いように話をしていたようだったが、実は相当びくびくしながら作業をしていたらしい。
「ねえ、この部分の切り方知らない?」
見れば、後脚の関節を切り離そうと苦戦している。
「なんで日本人のオレに聞くんだよ」
「だって毎年ピーラック見てるじゃない。だから私たちより詳しいかな、と思ってさ」
「毎年見てはいるけどさ。あ、パソコンの中に去年撮った写真入ってるから、パソコン持って来ようか? そうすればよくわかるんじやない?」
もちろん、本気でパソコンを持って来る気など無く、あくまでも冗談。
悪戦苦闘しながらも、EとPは、どうにか関節を切り離し、皮を剥がし終えた。
剥いだ皮は、黒いビニール袋に入れて、夏まで地面に埋めておくか、屋外の物置小屋の中に置いておく。数ヶ月放置して皮を変質させ、体毛をすべて抜いてしまう(ボートに使うため)。
肋骨の前部、胸骨(サキエック)を切り離すと、内臓があらわになる。食道と気管を口に近いところで切り、肺のあたりにフックを引っ掛けて、下半身に向けて引っ張る。Eが横隔膜にウルを入れると、内臓がじわじわと動き始める。内臓を引っ張り続け、最後に腸と尿管を切れば、内臓は一塊のまま、身体から離れる。
最近は内臓を食べる人も少ないので、そのまま海まで引きずって行って捨ててしまう。
時々、何を食べているのだろうと、胃や腸を開けてみると、未消化のキビナゴ、二枚貝の身、エビなどに混ざって、細長い寄生虫がもぞもぞと動いている。後日調べてもらったところ、これはアニサキスの一種だとのこと。
腸の中には平らで細長い、条虫(じょうちゅう)の仲間がうじゃうじゃとうごめいている。
ポイントホープの人たちがアゴヒゲアザラシの肉を生で食べないのは、この大量の寄生虫のためではないだろうか(根拠の無い憶測です)。
背骨と肉を切り離しているところ |
この肉を猟に関わった人、解体に関わった人たちで平等に切り分ける。
切り分けた肉は、ビニール袋に入れて家に持って帰り、茹でて食べたり、ミックーを作ったり。
さて、無事に二人きりでピーラックを終えたEとP。肉をトラックに積むと、後片付けもそこそこに、家に帰ってしまった。
「なんだよ、あいつら」
とぶつぶつ文句をいいながら、コータックのビニールシートをたたみ、後片付けを済ませたのち、家に戻ったのだった。
遅れて家に戻ると、Eは既にベッドルームで、コーラを飲みながら、旦那のHと一緒にテレビを見つつ、くつろいでいるのだった。
「あ、終わったんだ、どうだった?」
Hがベッドルームから声をかけて来る。
「すげー疲れた。Hもたまにゃ手伝えよ」
「今度ウグルックが捕れたらね」
「なんだよ、来年かよ」
「いや、明日捕まえるから」
後日、ウグルックは捕れたものの、ピーラックをしている場所にHの姿は無し。
Hがきちんとピーラックを手伝うようになるのは、まだ先のこと。
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