2012/11/20

ポイントホープの日本人(1)

ほとんど観光資源らしきものもなく、部屋にシャワーもトイレもない、狭いシングルルームのホテルも素泊りが1泊150ドルほど。食事は韓国人経営のレストランで、ハンバーガーか、不味くて高いけれど量だけは多い中華料理を食べるか、スーパーで何か買ってきて食べるか、あるいは地元の人と仲良くなって、何かご馳走してもらうか。
そんな町なので観光で来る人はほとんどおらず、やって来る人は取材や会議、ある種の技師なと、特別な用事の人がほとんどである(それでも時々ツアー客がやって来ることがある)。

ポイントホープを訪れた日本人、古くは明治大学の調査班。1970年代に植村直己はグリーンランドから犬ぞりでやって来て、キャプテン、ジョン・ティングックと共にクジラを捕ったこともある(ジョンは我が78クルーの先代キャプテン)。ジョンの奥さん、エイリーンばあちゃんが
「彼はコーク(セイウチの皮を茹でたもの)をお腹に良いって言って、毛ごと食べちゃってたわねぇ」
と言っていた。ジョンもエイリーンも、今は天国で植村さんに向かって同じ話をして笑っているかもしれない。

近いところでは、日本からテレビ取材班がやって来て、悪天候で取材がほとんどできず、目的半ばで帰って行ったこともあった(1週間でクジラの猟の取材をしようなんて無茶な話である)。
ドイツからやってきたテレビ取材班は「え? あんた日本人なの? エスキモーかと思った」とえらく驚いていたが、特に取材されることもなく、気がついたら彼らは町からいなくなっていた。

そんな町に、時々ふらっと一人でやって来る日本人がいる。なぜかそれは女性ばかりで、アンカレジなどで、誰かに知り合いのポイントホープの人を紹介してもらってやって来たという。
ポイントホープに滞在し、ある種のカルチャーショックを受けて帰って行く。
例えば、初めてウグルックの解体を見て、気がついたら泣いていた人だとか、意外と黒人が多くてびっくりしたりとか、どこの家にも炊飯器があることとか。
炊飯器と言えば、今は亡きヘンリーじいちゃんは「昔(恐らく1960〜70年代)、何かの調査で来た日本人に炊飯器を貰ったことがあるよ」と言っていたので、ポイントホープの炊飯器の歴史は、意外と長いのかもしれない。

このようにふらりとやって来た日本人のほとんどは、ポイントホープを再訪することはない(結構な僻地であることも理由のひとつだろう)。

一度、日本人女性の友人Mがアメリカ合衆国最北端にあるエスキモーの町、バローを訪れた帰り、ポイントホープへ立ち寄ったことがあった。
ちょうど猟と猟の合間の、のんびりとした時期だったので、ホンダで町を案内したり、エスキモードーナツ(揚げパン)を作ったり食べたり、子守りをしたり。極北の小さな町の生活を、短いながらも楽しんでいたようだった。

時々、居候先の排水管が凍ったり詰まったりで、生活排水全般が流せなくなることがある。メンテナンスを行う人たちが忙しかったり、修繕用の資材がなかったりすると、水を流せない状態が数週間続くこともある。
しかしそんな状態でも、台所の流しに置いた大きなボールの中へ水を貯めて洗い物をし、汚れた水は外へ捨てに行く。洗濯とシャワーは隣の家主の実家のものを借りる。
そしてトイレは伝統の「ハニーバケット「(エスキモー語でコグヴィック)」が登場する。
今から20年ほど前までは、水洗トイレが普及しておらず、どこの家でも大きなバケツに便座の付いたハニーバケットを使っていた。

これが「コグヴィック」 外で撮影
Mが滞在していた時、まさに排水管トラブルの真っ最中だった。
あるとき、Mがトイレに入っているときのこと、トイレから妙な機械音が聞こえてきた。スッキリした顔でトイレから出てきたMの手には、インスタントカメラと撮影済みの写真。妙な機械音は、インスタントカメラが写真を吐き出す音だった。
「アナック(ウンコ)の写真撮ってたの?」
「違うって。トイレが珍しいから撮ってたの」

それ以来、何年経っても、家主にとってMは「コグヴィック」の写真を撮っていた女性、ということになってしまった。

それから数年経ったある年のこと。別の日本人女性がポイントホープに長期滞在していたことがあった。
彼女は滞在先で食事をあまり出してもらっていないかったようで、いつもひもじそうにしていたので、時々、自分の居候先の夕食に誘ってあげたりしていた。
彼女は、あらゆるものを音を立てて食べるので、みんなでこっそり笑っていたのだが、それはどうでも良い話し(欧米人は食べるとき飲むとき、なるべく音は立てない)。
いつも腹を減らしている割には少食で、あまりお代わりもしない。
実は彼女、遠慮していたようなのだが、基本的にエスキモーの家で遠慮してはいけない。大量に作るし、たくさん食べてもらった方が嬉しいのだから。
変に遠慮されるより、腹一杯になって満足してもらったほうが招待した方は嬉しいのだよと、言っても、少ししか食べず、わけのわからない屁理屈をごねていた。

彼女が帰ったあと、家主が言う。
「日本人の女の人って、みんなあんな風に少食なの?」
「Mって覚えてる?」
「コグヴィックの写真撮ってた人?」
「そう、その彼女」
「あー、そうか、そうだね」
多くを言わずとも納得した様子の家主。

Mは何でも美味しそうに、どっさり食べるので、日本の共通の友人に「吸い込むように食べる」と言われたことがある。
個人的には、美味しそうにたくさん食べる人の方が好ましいので、吸い込むようにに食べることに対して、特に不満はない(他人の食べ物にまで手を出さなければ)。
それに伴って脂肪層が少々海産哺乳類のようになったとしても、自分は考え方が多少エスキモー的なので(猟師の誇りは太った女房)、特に文句はないが(女房はいないが)、もちろん限度はある。過ぎたるは病気の元なのだよ、M。

Mの名誉のために言っておくと、彼女は人間として、とても魅力的な女性である。

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