2012/11/03

ありがとう

クジラの猟では、天候と氷の状態が良ければ、何日も続けて氷の上で過ごすことがある。何日も起きているわけにもいかないので、眠くなれば、それぞれが勝手に、ベンチ代わりに使っているそりの上か、キャンプの脇に張った小さなテントで暖をとりながら寝ている。
10人弱いるクルーのすべてが一度に眠れるような場所は無いので、必ず誰かが起きていることになり、起きている人がクジラの見張り番となる。
そりの上で睡眠中


ある日の深夜、太陽は北の空の地平線近くで弱々しく輝いている。海にはまったく動物の気配はない。連日のわずかな睡眠、いい加減眠くなってきたころ、そりの上に空きを見つけて寝転がる。気温は氷点下5度ほど。暖かい服を着て、暖かいブーツを履いていれば、多少寒くても、熟睡しないまでも結構眠れるものである。
太陽の高度が上がり、少しずつ身体が温まり始め、腹が空いて目を覚まし、のっそりと身体を起こすと、目の前に立っていたMが
「オハヨ」
と声をかけて来た。
ぼんやりとした頭で、なぜ日本語が聞こえてくるのだろう? 自分はエスキモーの友人たちとクジラの猟をしているのではなかったか? と不思議に思いながら、Mを見上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、再び
「オハヨ」
ふと周りを見れば、みんな笑っている。
「シンゴ、オハイオってなんだ?」
隣に座っていた男が声をかけて来た。
「グッドモーニングって意味だよ」
オハヨ、オハイオ(州)とほとんど同じ発音であるため、意外と覚えやすいらしい。

どこで聞いた話か忘れてしまったが、日本語で「グッドモーニング」はどこか州の名前であると覚えていた人がいて、ある朝、日本人に会って挨拶しようとしたのだが、どの州か思い出せず、口から出て来た言葉は
「ニュージャージー」
言われた方は、何がなんだかわからなかったと。

「日本語で『サンキュー』はなんて言うんだ?」
「『ありがとう』だね。サンキューベリーマッチだったら『どうもありがとう』かな」
「なんだかエスキモー語みたいだな」
「どこが?」
「アリガー、テイクー」
「なるほどねぇ」
食事が終わった際、ごちそうさまに当たる英語は「サンキュー」。食事を作ってくれた人に対して「サンキュー」という。
その食事がおいしければ「おいしかったよ、どうもありがとう」となるだろう。
それをエスキモー語にすれば
「アリガー、テイクー」
「有り難く」と聞こえなくもない。

その後、食後に
「アリガト」
という友人が出て来た。
「ごちそうさま」
と教えても、すぐに忘れてしまう。「ありがとう」でも間違えではないので、最近は特に訂正もしないでいる。

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